モーニングラーメンを食べるか、すごく迷ってる。


モーニングラーメンを喰らうかどうか。


食べたら食べたで胃がもたれるから厭なのです…
がしかし、
でも食べておなか膨らさないと眠れないし…

ちなみに夜な夜ななにをしていたかと云うと


仕事やめてどうこうする妄想や資金のやりくりをいろいろ頭の中で構想していたら(笑)、気がつけばこんな時間です。

何も行動に移さないわしは、
万年トラベルプランナーなわけです。

あれしたいなー

これしたいなー

を・なにひとつ消化できず、まいにちこのリトルシティキョウト・イン・左京区で息を潜め、今は気管支炎と戦いながら、生きています。

どうしましょう、こんな時間に脳ミソぐるんぐるん回転してきた。
とっても長い文章書いてしまいそうだ。

でも書いて時間を潰すのはわるくない。



とりあえず、〇〇に行くのはやめようか、自分。
無謀すぎよ。



お母さん…

あたし……


「どうパクるか」


を一生懸命考え、

再構築を目標に図太く生きていきます!キラッ



わたしがまだ眠りにつけないまま、いま、同居人が本日のおしごとに行った。笑

みんなの一日はこうして始まるのね。
わたしのきょう、みんなの明日。


時間的概念とは。

物理法則を無視して心理的概念を時として、越えることがある。と。


ノーベル賞もんの大発見だな、こりは。


いやはやしかしだねー、
どうしたら眠れるのであろう、
うーむ。

またアニメ1タイトル全話観れてまうー、あうあうあーwww

とっても朝日がまぶしいwwwww

生活するために働いて、仕事の時間をとられて、呼吸を継続するための生活をして、ちょろっと趣味、また仕事に時間をとられて、日常のほとんどを仕事に費やして、また呼吸継続のための生活をして、その生活をするためにまた仕事をして。一人暮らしが家事をとことんしたら分かることだけど、家事っていうのはとても時間を喰う。めんどくさい。無職の私ですら朝起きて朝ごはんを作り、掃除、洗濯(私の洗濯はかなり服の色ごとに分けて洗濯をする。だから2・3回まわすのはザラ。)、昼ごはん、用事を済ますために、歯ブラシがないとか洗剤がないとか、公共料金の振込みにコンビニ振込みはラクだけど手数料がかかるから○○銀行へ行こう、あぁ帰りに郵便局も寄らなきゃなて具合に、いろいろ駆けずり回っているともう夜であるよ。1日3食なんてへんてこな文化が染み付いている私たちは1日3回も食事をするから、夜には夕餉を喰わにゃならんのだ、ときたら次は夜ご飯の準備である。そして食べ終わったら調理器や食器の片付けもしなきゃならないから、あとTVのニュースで現代人としては情報も仕入れなきゃならないわけで、こうしているとあっという間に1日は終わる、まあここで食事を律儀に作らずカップラーメンとか簡易食で済ますという方法もあるけれど、栄養のバランスとかいろいろあるではないですか、1日24時間というけれど人間はその大半は睡眠に費やしてる。ここで睡眠時間を削るのもまあ個人の体質・体力と自由意思の問題だから個人差はあるにせよ、だいたい24hの3分の1弱はグースカプンなわけでして。そのままゴートゥーベッド・オア・フトンをしてしまった暁にはこれまた非情にも次のような疑問がぐるぐると走馬灯のように私のシナプスをまかり通るんだす。「今日1日なにしてたんだ、私は」



今日1日、一体私は何をしていたのか?

それはまぎれもなく、生活である。

「そっか!私ってば今日は生活をしていたのね」となるほど合点、右手と左手両手グーパーで叩いて素直に納得を出来るほど私はなんていうか素直なんかじゃない。


「生活をしていた。」


この事実のどんなに恐ろしいことか。

1日の失敗例としては、うかうかして昼におきてしまったりすると最悪で、家事をしていたらもう夕方。


やばい・・・

このままでは、生活に侵食されてしまう。

人生、生活に持ってかれてまう。


生活のための生活をする。

むなしい。

だから生活のための生活(つまり、仕事)を趣味も兼ねたものにする。

すると人生の大部分を占める生活のためのただの仕事が違うものに変わる。

だから私は好きなことに直結する仕事を選ぶ。

つまるところ、土日祝日お盆休みお正月休みのある仕事なんてものは哀しくもただ生活者に成り下がってしまった者が生活を送るためだけのツールにすぎない。

仕事の時間に趣味をできないがために、その代償として、趣味を仕事にしている多くの者が持ち得ない連休・GW・お正月お盆休みがあるのだ。

そもそも、GW・お正月・お盆なんて昔っからの‘生活‘をしてきた者が設定したシステムであって、そういった枠組みに所属していないアウサイダーで現代っ子なわたしには今はそんなものは必要ないのだ。

だから当分、仕事は年間休日104日の雑貨・洋服の仕事がいい。

そして将来独立した仕事をする。



「生活」


この言葉は非常に重い。

いままでは 過去、内省、心象、不明瞭、曖昧


これからは 意思、放任、楽観、危険



過程で今までのそのジャンルにおけるフォーマットを全否定しておいて、最後にひっくり返す。

という戦略についてどう思う?

そしてその結末が、とある1フォーマットの反対の意味を持っているとしたら。


あーアウトプットしたい。

そのまえに吐きそうなほどの知識と常識と非常識を喰いまくって、客観性を身に着けなければただの自意識過剰な散文に過ぎません。



自分自身が労働問題を体現してしまっている私は、ある意味卒業生の最強にして唯一のアウトサイダーおよび神。




「企業が求める人材と教育に関する実態調査」西村和彦・浦坂純子・平田純一・八木 匡

「」


ただ既卒の就職における研究が少なくて鬱。

ケースが実に多彩多様すぎて、何を基準にして調査していいかわからないのだろうか?


人に伝えるにはポップでなきゃいけない、

まさに今、「正しい」と信じて乗っかってきたものに押しつぶされそう、いまから言えばその選択した過去はすべて「間違って」いて、この間違いはその後によって定義されたものなんだけど、その「間違ってる」と定義してしまう未来のコンストラクションからまず変えなきゃいけない。それにはもちろん建設費用と時間がいるし、雨の日には建設を休まなくちゃいけない。そのコストは如何程かと。

明確に言うと過去は押しつぶされるではなく圧迫される、その破滅的な空気圧の凄いことよ、今にもはじき出されそうなんである。隅っこで何とか我慢、我慢というかそれが生きる術、気づいたら端っこ、望まずともアウトサイダー、そんな乗り物からは今すぐに降車するのはオオアリである、ただ。今、降りたら降りた道をまた進んでいかなければいけない、その天気は晴れ雨曇り、そんな概念じゃきっと例えようがないんじゃないんだろうか。

過去は恐るべきエネルギーを持っている。そして未来はその過去のエネルギー量を遥かに凌駕する。だけどその力関係は容易に逆転するわけだ。

一番要領いいのは過去と周囲をチートして目に進むこと。だッ


そのとき信じてきたものは過去、過去は否定可能、未来を否定してしまったらそもそもの理論なんて成り立たないけどね。宇宙の一番若い端っこの端っこ、まさに先端をキュッとひねってしまえばそれ以上可能性なんて生まれない、ただその広すぎる広がりすぎてしまった宇宙をのろのろ歩行なら可能、それがいまの社会。そこには常に同じ空気粒子(これはすなわち慣習)が巣繰って、そのご産まれた生物も科学も常識もみんな、未来も収まることを余技なくされる。

宇宙が日本。日本はこんな宇宙(イコール社会)。

やばいきょうはキーボードをうつ指のスピードがとまらない、むしろたまにアホになるボードを

叩けば叩くほどスピード速くなってる気がする、てかそう。脳みそのスピードがどんどん早くなって自分でも

ただ、今現在もすぐに過去になってしまうのでその信憑性すら疑わしいですが。


こんなこと書いてないではよ履歴書かけや自分、と。