いままでは 過去、内省、心象、不明瞭、曖昧
これからは 意思、放任、楽観、危険
過程で今までのそのジャンルにおけるフォーマットを全否定しておいて、最後にひっくり返す。
という戦略についてどう思う?
そしてその結末が、とある1フォーマットの反対の意味を持っているとしたら。
あーアウトプットしたい。
そのまえに吐きそうなほどの知識と常識と非常識を喰いまくって、客観性を身に着けなければただの自意識過剰な散文に過ぎません。
自分自身が労働問題を体現してしまっている私は、ある意味卒業生の最強にして唯一のアウトサイダーおよび神。
「企業が求める人材と教育に関する実態調査」西村和彦・浦坂純子・平田純一・八木 匡
「」
ただ既卒の就職における研究が少なくて鬱。
ケースが実に多彩多様すぎて、何を基準にして調査していいかわからないのだろうか?
人に伝えるにはポップでなきゃいけない、
まさに今、「正しい」と信じて乗っかってきたものに押しつぶされそう、いまから言えばその選択した過去はすべて「間違って」いて、この間違いはその後によって定義されたものなんだけど、その「間違ってる」と定義してしまう未来のコンストラクションからまず変えなきゃいけない。それにはもちろん建設費用と時間がいるし、雨の日には建設を休まなくちゃいけない。そのコストは如何程かと。
明確に言うと過去は押しつぶされるではなく圧迫される、その破滅的な空気圧の凄いことよ、今にもはじき出されそうなんである。隅っこで何とか我慢、我慢というかそれが生きる術、気づいたら端っこ、望まずともアウトサイダー、そんな乗り物からは今すぐに降車するのはオオアリである、ただ。今、降りたら降りた道をまた進んでいかなければいけない、その天気は晴れ雨曇り、そんな概念じゃきっと例えようがないんじゃないんだろうか。
過去は恐るべきエネルギーを持っている。そして未来はその過去のエネルギー量を遥かに凌駕する。だけどその力関係は容易に逆転するわけだ。
一番要領いいのは過去と周囲をチートして目に進むこと。だッ
そのとき信じてきたものは過去、過去は否定可能、未来を否定してしまったらそもそもの理論なんて成り立たないけどね。宇宙の一番若い端っこの端っこ、まさに先端をキュッとひねってしまえばそれ以上可能性なんて生まれない、ただその広すぎる広がりすぎてしまった宇宙をのろのろ歩行なら可能、それがいまの社会。そこには常に同じ空気粒子(これはすなわち慣習)が巣繰って、そのご産まれた生物も科学も常識もみんな、未来も収まることを余技なくされる。
宇宙が日本。日本はこんな宇宙(イコール社会)。
やばいきょうはキーボードをうつ指のスピードがとまらない、むしろたまにアホになるボードを
叩けば叩くほどスピード速くなってる気がする、てかそう。脳みそのスピードがどんどん早くなって自分でも
ただ、今現在もすぐに過去になってしまうのでその信憑性すら疑わしいですが。
こんなこと書いてないではよ履歴書かけや自分、と。