というわけで名松線完乗記も家城駅を過ぎて後半戦です。家城駅から先は雲出川という渓流とつかず離さずという感じで線路が引かれています。画像の右の奥です。そして伊勢茶の名産地というところで茶畑も広がっていますね。

この区間は2009年の台風18号の被害で一度不通になっており、路線の需要の小ささなども踏まえると本来なら廃線になっても仕方なかったのですが、2016年に路線復旧が実現しています。(休止期間中は三重交通による代行バスが運行)近年では赤字ローカル線が災害の被害にあった後に復旧せずにそのまま廃線になるというケースも多いですが、名松線はJR東海の盤石な経営基盤にも助けられて無事復旧しました。この辺り、JR東海は鉄道の使命とは何かというのにしっかり向き合っている証だと俺も思いますよ。

 

そうこうしているうちに終点の伊勢奥津駅に到着。終盤は文字通りのいかにも秘境な区間を走る路線でした。駅舎は2005年に建て替えられた手の込んで温かみの感じられる立派なものです。そして名松線を守る会の看板の主張が激しいです(笑)

 

駅舎から少し離れたところに住民センター的なのがありました。お土産売っていますし、団体客がお弁当を食べるスペースもあります。そしてテレビのNHKついていました(笑)

 

とにもかくもJR東海の恩情と地元民の情熱によって生かされていると言っても過言ではない赤字ローカル線の名松線。近年はこの手の赤字路線の存廃問題が関心を高め、現にこの路線も他のJRだったらいつ廃線になってもおかしくないと言わざる負えません。とにもかくもこの路線が末永く生き残るようにと願いながら折り返しの松坂行きに乗車。

 

で、帰りは松坂駅から快速みえに乗車なのですが…今度こそ2両でした(爆)

何とか座れたので俺としてはこれが全てですが、特に四日市以北の関西線内では近鉄からの客の流入などで近年は利用者が増えており、特に桑名からは一気に満員となりました。(結構な確率で2年前だったら近鉄使っていたがJRに乗り換えた客いそう)当然2両だと足りんという話になるもの想像がつきます。キハ75系は製造からすでに30年以上経過しているので、いつ置き換えの話が公式から出されてもおかしくないです。キハ75は2両編成だったのに対し、個人的にはそれを置き換えるはずの車両は4両編成になってもいいかと思いますが…(2011年から14年ごろは伊勢神宮の式年遷宮対策で快速みえはすべて4両編成で運行されていた)

 

というわけで今回の旅はここまでですが、青空フリーパスあれば鳥羽まで行けるので、今度は伊勢神宮参拝もできそうですが…

次回は6月22日に豊橋に行くときにも青空フリーパスを使います…梅雨シーズンなので雨天中止ですが(^^;)