生きつらさからの解放願うアラフィフ(乳がん、アポクリン腺がん、顆粒膜細胞腫 他)

生きつらさからの解放願うアラフィフ(乳がん、アポクリン腺がん、顆粒膜細胞腫 他)

病歴)
37歳に非浸潤乳がん発覚。右胸全摘、同時再建。(穿通枝皮弁法) 約3年後再建した胸に局所再発?→右胸部分切除→アポクリン腺癌(皮膚癌)の診断
2021.4 卵巣癌の疑い→開腹手術→ 卵巣ガン 顆粒膜細胞腫 

私の幼少期。

2歳頃からの記憶あり。

兄が発熱で幼稚園を休むことが多く、母と一緒に幼稚園までいったり、父を朝会社まで送ったり。集会に行ったり。


神様がいる、なんて理解できていないけど、集会や大会に行くのは当たり前で、幼稚園も無宗教の場所にしたので隣の区までバスで通う生活だったが、同じ会衆の同じ年齢の子もいて、行事でそこまで苦しいことはなかった。

幼稚園で困ったことは、

手を合わせて いただきます! が、全員が手を合わせないと食べれないよ!って先生に言われて、でも母からはダメと言われていて、困っていたら先生が泣き出してしまい、手を合わせるふりをして過ごすことにする。

クリスマスにサンタクロースがくる!と盛り上がっているみんなの会話に入らず(母からサンタクロースなんていない!と言われていた私は)、いなくてもいいからプレゼントは欲しい、と思っていた。

通園時に、手を握ろうとしたら手をはたかれたり嫌がられたこと、お父さんとかお兄ちゃんのこと好き?(自分のこと好き?と聞く勇気無し)ときいたら、レベル低いこと聞かない!と言われて悲しくなる。


まだここまでは親と集会以外の交流がない分、そまではしんどくなかった。

辛くなってきたのは小学生から。


多分、本来は外を駆けまわってみんなと遊ぶのが好きな、おしゃべりも目立つのも好きな子どもだったような気がする。


集会や家で、少しわがまま言ったりグズるとお尻を叩かれるので(家には長い物差し常備)、泣いたりわがままは言わないようにしていくため、

感情を殺して、喋らないようになり、世間的には人見知りする大人しい子、でした。


小学生になって近所の子やクラスの子と遊びたかったけど制限され、宗教外の子は 世の子 と言われ、悪い子 とされていたので母はみんなを非難する。誕生日会にも行きたい、七夕祭も参加したい、サッカーもやりたい、等、ダメダメダメダメ。

1年生の時。七夕祭を体育館でやることになり、みんなで移動。親からの手紙渡してあって教室に残らないといけなかった。先生は一人だけ教室に残さないから端座ってていいから一緒に移動して欲しいと。一人で教室にいたくなかった私は先生についていき、それを兄に見られて、あとで母に叱られた。また、冬。クリスマス会をやりたい!ということになったけど先生が気にしてくれて、お楽しみ会にしよう、ということにしたけと、多数決とりたい、となり、40対1。手を上げた瞬間

顔を伏せて泣いてしまった。で、お楽しみ会に。


今でも、あの教室の手を上げた時の気持ちと光景、忘れられません。