第122本 『グレート・スモーカー 歴史を変えた愛煙家たち』 祥伝社新書 | 一遊一夜〜語るに足らぬ私について語るときに私があえて語ること〜

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遊戯三昧の書評。
本の批判はここではナシよ。

『グレート・スモーカー 歴史を変えた愛煙家たち』
祥伝社新書

 
 どうも、皆さんお久しぶり。
 それなりの充電期間を経て帰ってきました。
 この空白期間の数ヶ月、私は何をしていたかというと、大学のお勉強をしていました。現状の教育論に不満があった私は、大局的&オリジナルな視点で教育を語ることができるように、日々研鑽していたわけです。
 ・・・というのは嘘で、毎日、酒飲んでました。
 私の好きな太田和彦さんという居酒屋探訪家の本を読みながら、彼が訪れた居酒屋を日々渡り歩く毎日。幸いにして酒は結構強い方なので(というか毎日一升飲んでたらイヤでも強くなる)ハシゴ酒につぐハシゴ酒で、人の10倍のペースで飲んでました。
 で、学んだことはただ一つ。
 伝統ある居酒屋は、高等教育機関にも勝るとも劣らないものだということです。
 入学金もなく試験もなければ卒論もない。無論、酒飲みに夏休みや冬休みなる休肝日は用意されていないから、学生チックな長期休暇もなし。夏にはビールで冬は燗酒。休む暇はない。そして盆と正月くらいは休むかと思いきや、酒飲みは意外と真面目で、ここでも自宅で酒飲大学を開講する。
 つまるところ、日々努力の精神を一時も忘るることなく渡世を送っているわけだ。
 酒飲みはいい加減で適当だと思っていらっしゃる方が大勢お有りだろうが、こんなに真面目なのだ。いい加減・適当を肯定して肯定して肯定し尽くすと、一転して真面目に変わる。高田純次さんは、真面目な不真面目なのだ。真面目に不真面目を実行していらっしゃる。

 その酒の席に欠かせないのが、たばこ。あえて平仮名表記にしたのには深い意味はない。
 
 酒と煙草と男と女
 ご承知のように、女性に関しては、私は、書けない。先日も彼女にふられてしまった。
 とりあえず手始めに、たばこを愛した人を、私自身がショートピースの紫煙をくゆらせながら、書きたいと思う。

 昨今、禁煙ブームにのっかって、猫も杓子も禁煙と騒いでいる。その騒いでいる猫や杓子のほとんど全員がモノを考えないで、何かをする方向ではなく、何もしない方へ付和雷同している。(あくまで個人の見解なので苦情は受け付けません)
 どうもこのままいくと、石橋を渡る前に石橋を叩きすぎて、石橋を壊してしまう社会になりそうだ。

 「朝日」という煙草が、かつてあった。


 
  本居宣長が詠んだ和歌「しき嶋のやまとこころを人とはば 朝日ににほふ山さくら花」からその名が付けられた。文豪・夏目漱石はこの「朝日」を喫んでいた。奥様がこればかり買ってくるから、家ではこれしか喫まなかったそうだ。外出時はつり銭が面倒なので、ひと箱十銭の「敷島」を買っていたらしい。
 有名な『猫』には、寄木細工の煙草入れから朝日を一本取り出してすぱすぱ吸う場面がある。
 寒月のモデルになった寺田寅彦も「朝日」を好んでおり、死ぬ直前まで手放さなかったという。ちなみに『三四郎』の野々宮宗八のモデルも彼であり、寒月先生、野々宮宗八ともに大の愛煙家として描かれている。漱石先生loveであった内田百間も、喫むたばこは「朝日」であった。百間先生について書き始めると、ひん曲がった性格のために煙草よりそのほかのエピソードの方が長くなってしまうので割愛したい。なお、一言だけ添えておけば、彼は幼稚園の頃に喫煙を開始したらしい。

 
 漱石軍団の一員である芥川龍之介は、国産では「ゴールデンバット」「エアーシップ」「敷島」を愛喫(アイインとでも読んでください) していた。芥川の死を悼んで「芥川賞」を創設した菊池寛も大の愛煙家で、食事中でも将棋を指している時にもすぱすぱすぱすぱすぱすぱすぱすぱすぱすぱ吸うので、そこらへんに灰が舞っていた。それだけならまだいいが(よくないのだが)自分の着物にも平気で煙草の穴をあけていた。


 今、私は両切りのピースを喫んでいる。
 松岡正剛をして「両切りピース派は喫煙界の帝王」と言わしめたほどの、アブナくて、切なくて、アーティスティックで、リスクな煙草なのだ。

  命を削るたばことして有名なピース。しかも両切りとあれば、もう死へ一直線だ。
 坂口安吾 小津安二郎  山本周五郎
  彼らはピースを愛した。

 

 有名な上の写真をよくご覧になって欲しい。
 そこらへんにピー缶が転がっている。

  眠い。缶ピーを吸って、寝ようか。