モーパッサン
この本、序文が頗る付きのおもしろさである。
モーパッサンは、みなさんご存知の『脂肪の塊』を著した仏文学者である。これは普仏戦争下におけるフランス人娼婦の話であり、フローベルをして「間違いなく後世に残る傑作」と言わしめた。モーパッサン自身も兵士として普仏戦争に参加したために厭戦思想が中心にあり、その周りを娼婦が差別がエゴイズムが偽善が、旋回している。
さて、そんな『脂肪の塊』ではなく、なぜわざわざ本書を選んだのかというと、先にも述べたように序文がいいのである。
「才能とは、ながい期間にわたっての忍耐にほかならない。大事なことは、表現したいと思うものは何でも、じっくりと、十分な注意をはらって見つめ、まだだれからも見られず、言われもしなかった一面を、そこから見つけだすことである。」
この言葉の数行後に、こう、比喩が添えられる。
「燃えている炎や、野原のなかの1本の木を描くにしても、その炎や木が、われわれの目には、もはや他のいかなる炎や、いかなる木とも似ても似つかぬものに見えてくる。」
これが有名な「モーパッサンの一語説」になる。
私たちは事物を見るときに、忠実に物事をみているだろうか。
空からふってくる粉雪を見たときに、私たちは素直に「粉雪だ」と感じるであろう。しかし、それは私たちが過去に見聞・体験してきた〈粉雪〉という言葉を通過させて対象を認識したに過ぎないのではないか。果たして、その「粉雪」は過去の〈粉雪〉と同じものであろうか。「粉雪」をふらせた所与の条件をさえ考えてみるならば、きっと数々の捨象の上に「粉雪」は成立しうるのである。色、湿度、光線の具合、温度・・・「粉雪」という言葉を使うとき、わたしたちは様々のものを無視している。そして一旦それに慣れきってしまったなら、我々の感覚は言語の外には脱出不能になってしまう。
モーパッサンは、こう表現してる。「周囲のものを眺める場合に、自分たち以前にだれかが考えたことを思い出しながらでなければ、自分たちの目を使わないように習慣づけられている」と。
通常、私たちは事物を目の前にしたときには言葉を思い浮かべ、適当に選択する。様々の言葉を取捨選択し、気の利いたふうに組み合わせて使用する。そこに葛藤があれば、それは事物を自分の目で見る、ということになる。言語以前の混沌とした世界に身を置き、必死にもがくなら、運良く新しい言葉が出てくるかもしれない。このプロセスを経ることが独創性を獲得するための条件なのだ。
「才能とは、ながい期間にわたっての忍耐にほかならない。大事なことは、表現したいと思うものは何でも、じっくりと、十分な注意をはらって見つめ、まだだれからも見られず、言われもしなかった一面を、そこから見つけだすことである。」
才能とは忍耐であるというイイキリもすごい。どこかの経営コンサルタントは、最低でも10年間は好きな分野で努力しないとスタートラインにも立てないと言っていた。
本書の序文は、序文の体裁をとった超一流の自己啓発書でさえある。
ついでながら申し上げておくと、ビートルズが鮮烈なデビューを飾ったのは結成後一万時間が経過してからのそうだ。
これをギョーカイ用語で「1万時間の法則」と言うらしい。