一ヶ月ぶりに戻りました。その間話が進まなかったのはいろいろ事情があったからだけど、今年中には話を終わらせようと思って気合入れて書いてみたいと思います。実は最近のところ彼女のことがうすうす浮かぶときもありますが、今彼女は彼氏がいるし自分の人生に充実してるのをわかってて私が割り込む余地はなさそうです。一番いい方法は私も新たな出会いを作ることだろうけど今のところなんだか恋愛をしてる場合じゃないとか感じがしてそれも機がすまないんです。(自信がないのもひとつの理由)それでこの話をまた書くと今のしんどい気分がもっとひどくなるんじゃないかなと思って迷ったのもありましたが、一度はじめたことはけりをつけたほうがいいと思いました。今まで読んでくださった読者さんたちにはいつも感謝してます。それでははじめます。
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人生一番最高のクリスマスを過ごした私はもうずっと今の瞬間がこのままでとまっていて欲しかった。彼女もそう思ってくれたかはわからないが、少なくとも私はすごく幸せな日を過ごせた。そして年末が終わるころまたお別れの時間がたずねてきた。今にして思えば私たちっていつも遠距離だった。最初の出会いも韓国と日本。私が日本に来てからは東京と福島。そしてまた私が韓国に帰って韓国と日本。こんな状況で長く付き合うのってすごく大変だということをそのときはまだ気づかなかった。やっぱり分かれるときはつらかったけど、またあえるという思いがあったから。
別れの場所はいつも代々木駅にある高速バス停留場。代々木駅に向かうために山手線に乗るときはすでに心が重くなった。私たちは何でわからなきゃいけないんだろう。彼女もきっとそう思ったはずだ。そのときは心がひとつにつながっていたと信じてたから。
もう何回も見る景色だったけど、なれなかった。待合室には私たちみたいな遠距離カップルが手をつないでバスを待っていた。私も彼らのようにMの手をぎゅっと握ったままじわじわとバスを待ってた。今になって後悔するのはもっと彼女といろんなことをしゃべっておいたらよかったと思う。確かに私の日本語がだめでそんなにうまく話せなかったのもあったけど、もっと自分の心の中を素直に言葉の形でMに伝えておけばよかったなと思う。だったら、帰るバスの中で彼女が感じる寂しさが少しは癒されたんじゃないかな。
”別れたくないね。”
”うん。別れたくない。”
バスがついたとき私たちは感じた。この人とならずっと一緒にいたい。
だから話し合った。
”Mさ、神奈川の住むところ決まったら一緒にくらさない?”
”え? まじで?”
”うん。 私、もう2月には仕事辞めるつもりだし2月終わるころには帰らなきゃいけないからその前までは君と一緒に居たいから。だめかな?”
Mは急な提案に少し戸惑ったがようやくうなずいてくれた。
”うん。私もそうしたい。 親に聞いてみるね。”
”ありがとう。大好き。”
”私も。”
韓国でこんな話をしたらいい視線で見る人はあんまりないと思う。
日本はどうかわからないけど、やっぱり若いカップルの同棲ってアジアではまだ認識がよくないからだ。にもかかわらず彼女に提案したのは私は彼女と真剣な関係を求めたからだ。いずれ韓国に帰ったってずっとお互いを支えながら長く付き合い、確信はなかったけど結婚までしたいと思っていたからだ。彼女もそれに応じてくれて私は希望を持ってがんばることができた。もう後のことなんかどうでもよかった。
私の人生で一番大事なのは彼女になったから。ずっと、彼女をためにがんばりたいと思った。
2013年が訪れた。 2010年に軍隊に入るころは到底2013年が来るとは思わなかったけど、時間はさりげなく流れるものだった。私もそのときの流れに乗ってやっとここまでくることができたと思った。
その中心にはMの存在が居た。大切な人生のパートナとして私は彼女に感謝していた。そしてこれからもがんばりたいと思った。
そのため12月から1月にかけては仕事に熱心だった覚えがある。仕事に慣れたのも理由のひとつだったけど、私はそれ以外にもお金を稼ぐ理由ができたからだ。一日八時間以上も働くと体がぐたぐたになるけど、家に帰ってMの声を聞くとうそのように疲労感がなくなった。
そのときの私は確かに輝いてた。
彼女が実家に帰ってからは私は一人で日本の生活を仕上げる準備を着々した。所期の目的は達したものの、彼女との同棲生活を楽しく過ごすためにいろいろ考えておいた。時間はあっという間に経ち、いよいよ2月が訪れた。私はすき家の店長に私の事情をいって置いたからもう手続きは終わっていた。日本の生活の中でひとつ残念な部分があるとしたら人脈を作ることだった。もともとならバイト先からいろんな人と出会いその範囲を広がせるべきだったが、クールの皆さんと年齢が離れてたこともあって、最初店に入ったときから首になるのを恐れていつも緊張した状態だったため仲間たちとなれなかったのが問題だった。
だから、仕事をやめるときもドラマで見たような送別会までは思わなかったけど、暖かい言葉くらいは聴いてみたかったが、単なる普通のお疲れ様でしたという言葉しか聞けなくて少しはさびしかった。自業自得だから仕方ない話だけど。
そして2月に入ってからシェアハウスとの契約も終わることになった。
正直に言って払ったお金に比べては施設がよくなかったから後でMにもしかられたけど、一人で家を探すのって大変だろうと思って深く考えず決めたところだから仕方がなかった。もしまた日本ですむ機会があればそのときはちゃんと不動産屋を回りながら探してみたいと思う。
(機会があるかな。)
すべてを片付けてる中ふいと布団を見た。彼女がうちですごしたとき、どうやら寒かったらしくて送ってきてくれたものだった。暖房はつけてたけどそれはどうやら性能が悪くてそこまで温まらなかったけど私はなんとなく過ごしたが、彼女はそんな私の状況を心配してくれて送ってくれたのだった。もちろん当時はすごく感動したが、考えてみれば私は彼女からもらうばかりであげたものがあんまりなかった。そのことがなんだか悲しくなって、韓国に帰ったらがんばっていろいろプレゼントしてあげたいと決めた。
ようやくすべてが片付いて部屋を出るとなんだか不思議な感じがした。期間として約5ヶ月。長いなら長いともいえるがあっという間に過ぎてしまった感じもした。ここでいろんな経験をした。もちろんいい思い出ばかりじゃなかったけど、思い出のある場所は違いなかった。またここにくることはたぶんないだろうけど、一生忘れられなさそうだった。
彼女の新しい部屋は実は一度言ったことがあった。そのときはただ見物としていったのだがそれが意外といい部屋で、家賃を聞いたら私のとあんまり差がなかったためなんだか乖離を感じた。それにしても二人で過ごすには十分にいい部屋だったからわくわくしていた。やっと Mと一緒に居られる。そのことだけが私の一番幸せだった。
彼女の家までは電車に乗りかえって1時間以上を行かくてはならなくて、ひとりで荷物を全部持って動くのはすごく大変だった。特に駅に降りてでも十分以上を歩く距離だったため、大変な旅程だった。
幸いに彼女が駅で待ってくれたため荷物を分けることができたがなんだか彼女にこんなことをさせるのが悪くて心が重かった。でも彼女は笑顔で持ち歩くのを助けてくれた。いよいよ家についたころの私はもうぐたぐたになっていた。2月なのに汗をかくくらいだったからどれだけ大変だったかいまだにも覚えてる。(もちろん入国日に比べたらこれはましだった。)家に入って最初に感じたのは彼女の香りだった。女の子の部屋に入るのってこれがはじめて(正確には二番目)だったから、なんだか心が弾んだ。
後二週間ここですごすんだな。わたしたち二人で。そう思うとなんだかすごく幸せな気分になった。今なら何でもできそうな感じ。最近はぜんぜん感じれないけど、当時に感じた胸がいっぱいになる気分をもう一度感じたい。