昨日、先日受けたホルモン値検査の結果を聞きに不妊治療の病院に行きました。この前の診察の時にまたもや体外受精を勧められてすっかり行く気をなくした私ですが、せっかく高いお金を払って受けた検査なのだから(自費ですからねあせる)結果くらいはすっぽかさずに聞きに行こうと向かったのでした。

諸々問題のないものも多かったのですが、私の最大の関心事AMHの値は・・・以前よりかなり悪くなっていましたしょぼん
この値は卵巣内の卵子の在庫を推測するためのものなのですが、私はこれがかなり低いと前の病院から指摘されており、その当時が40歳レベルで今回は45歳レベルになってしまっていました。

当然先生にはなるべく体外受精を急ぐよう再度言われました。卵がなくならないうちに、と。

前にblogで書いた通り、私はもう一度なら体外受精にチャレンジしてみてもいいと思っています。ダメもとで、諦めるための最後の治療としてね。

でも、体外受精をするには50万を超えるお金がかかるし、2月に体外にチャレンジして失敗した身としては今このタイミングで再びするのは経済的にも身体的にも精神的にもしんどいあせる

加えて、この前の受診後から「もう養子中心に考えて治療は無理しないようにしよう」という気持ちになっていたので、なおさら今ここで無理して体外に臨もうという気持ちにはなれませんでした。



「この結果を理解した上で、しばらく治療を休みたいと思います」


前から用意してあったセリフを淡々と口にし、私は診察室を出ました。


帰りの車、また涙が溢れてきました。たまらず母に電話し、思いの丈をぶつけました。




なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないのか。


私は何か悪いことをしてバチがあたっているのか。


普通になんの苦労もなく子供が持てている友達が羨ましい。妬みたくなる。でもこんなふうに思う自分が一番イヤ。


本当に実子は望めないかもしれないから期待しないで。


それでも私も子育てがしたいんだ。自分がしてもらったようなことをしてあげたいんだ。入学、卒業、就職、結婚などの節目を子供と一緒に喜び祝ってあげたいんだ。



私は特殊な家庭で育ったから(うちは片親です)、そういう子の気持ちが理解してあげられる。最初のスタートなんて関係ない、そのあとの自分の生き方次第で人生はいくらでも素晴らしいものにできるって身をもって伝えてあげられる。



だから養子を迎えることを真剣に考えたいんだ。



泣きながら、何を言っているのか分からないくらいの声で訴えました。自分でもこんなに思いが溢れるものだと驚くほどでしたが、普段気丈に振る舞っている分、母の声を聞いて解放されてしまったのかもしれません。



「あなたの気持ちは充分わかったから、ママもこれからは気持ちを切り替えて養子のことを前向きに捉えるようにする。だからそれに向けて焦らず、思い詰めすぎず、おおらかな気持ちでいろいろな方面から勉強しなさい。ママも本心は孫がほしいと思ってた。血が繋がってなくてもあなたが自分の子として育てる子なら、多分孫としてかわいいと思えると思う。」


母はそう言ってくれました。
私にとって何よりもうれしく、心強い言葉でした。


帰宅した旦那さんにも全ての流れを話したところ、温かく受け止めてくれ、私の気持ちを尊重してくれました。


全てを持っている人は少ないと思います。


私はこれまで比較的いろんな意味で恵まれてきて、努力や様々な人の協力でたいていのものは手にできてきたと思います。結果も出せてきたと思います。


でも、どうしても手に入らないものもあるんですね。どんなに努力しても、願っても祈っても。

私の場合はそれが血の繋がった子供なのかな。
出産という経験なのかな。


だんだんとそんな、冷静に諦めにも似た気持ちを感じるようになってきました。
腐った気持ちとはまた違う、ある意味納得感というか。


そんなもんだよね、人生。

みたいな。


でも、子供を持つ道が絶たれたわけではありません。むしろ、これからが本番ビックリマーク

すぐにというわけではないですが、いろいろと勉強しつつ、今しかできないことも楽しみつつ、目標に向かって努力しつつ、仕事も頑張りつつ、人間的にももっともっと成長してゆっくりと親になる準備をしたいと思いますキラキラ




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