中国有数の名君とされる唐の太宗(皇帝)・李世民に仕えた魏徴(ぎちょう)。魏徴は、主君に対して繰り返し諫言を行い、国家の安定に大きく貢献したと伝えられている。主君の逆鱗に触れることを恐れずに進言した魏徴はもちろん立派だが、それを受け入れた李世民の度量の大きさも忘れてはならない。
現代に目を転じると、AIがめざましい発展を遂げたこともあり、経営者がAIに「諫言」を求める場面が増えている。例えば、事業計画や発信内容の妥当性についてAIにコメントを求めるといった具合だ。
もちろん、AIは過去のデータに基づいてコメントしているにすぎない。このため、標題との関係で言えば、AIと自らの判断を伴う「諫言」を行っていた魏徴とを単純に並べることはできない。
ただ、経営者の中には「人間に批判されるとイラッとするが、AIに言われるとそういう気持ちにはならない」と語る人もいると聞く。人間相手には李世民のような度量を発揮できなくとも、AIに対してなら受け入れることができる。そんな現象が生じているのだ。
その背景には、次の二つの要因が考えられる。
第一に、AIは感情も悪意も持たない。そのことを経営者を含む利用者が理解しているため、AIの反応は冷静に受け止めやすい。
第二に、AIに対する一定の信頼感がある。AIは、膨大なデータを分析し、比較的偏りの少ない情報を提供する存在として受け止められつつある。むろん、AIが「嘘」をついたり、間違っていることもあるのだが、それでも「一回、AIに聞いてみよう」と思わせる力がある。
このように考えてくると、AIによるコメントは経営者に限らず広く役立ちうることがわかる。経営者が求める事業計画などへのコメントにととまらず、文書作成やプレゼン準備といった場面でも「諫言」とまではいかなくとも、AIから有益なコメントを得られるだろう。
大前提となるのは、まずAIにコメントを求めるという能動的なアクションだ。更に、「批判的に」、「迎合しないで」といった指示(プロンプト)をAIに対して与えることが肝要である。というのは、AI(の一部)には、利用者に寄り添い、鋭い批判を返さない傾向もあるからだ。
まとめ: 諫言や批判的コメントを受け入れるには度量が求められるが、AIの言葉であれば受け入れやすい。ただし、AIの真価を引き出すには「批判的に」、「迎合しないで」という明確な指示を与えることが大事だ。
※ 上記文章もAIに対して、批判的にコメントも求め、それも反映しドラフトした。AIのコメントは、主として、AIと魏徴と全く同列に並べて議論するのは不適切、最後にまとめ(結論)を入れて議論を要約したほうがよい、というものであった。いずれも受け入れ、手を入れた後の文章が上記である。