亡母を例にとる

のはずっと嫌だったけれど

もう50年もいぜんのことだし、


もういいかなと最近は思ってる


誰でも普通に親を尊敬し、慕う

人間当たり前


こどもの頃

ラジオでみんなの歌とか

よくかかっていて


嬰児の心 という言葉を

いつも亡母から聞いていた


ど田舎で、そんなものかと


思っていた、


そんなことと亡母の死の前々日くらいに


話したことと


ギャップが在りすぎるのを


いつまでも気になってる。


生きることがなんなのだろうと。


亡母の生きた事が


死により無になると言うか

虚であったというか。


こんな人生はくだらない。


かわいそうな生であったなぁと


貧乏で多くの子供に


必死に働いて


何とか食わせてそだてたんだなぁと、


飯を食うたびに


最近は思う、


母の其のときのつらい


気持ちを偲ぶ歳になってる。


本能と自我と無心と


大拙繰り返し今朝も読んで


人間は、生きてる間自我で生きる


この自我は


世間に合わせて生きることに尽きる

世間には、いつの時代であろうと

 

世間の矛盾がある人間世界

是に批判をし続けていた母


デモ終わってみれば

世間の建て前の中で生きていた

大拙の言うとおりで

矛盾から抜け出す事は

誰にも不可能な事


世間にあわせてる

批判してると

思ってるけれど

あわせてるのだ


でないと誰でも生きてはいけない


この世間の建前というのは

力、時代の力。


戦争を仕組む連中が力を持ってれば

戦争が起こせる


力の無い人間が


いくら反対しても


この浮世は建前で動く


建前というのは


日常のもろもろのことすべてだ。


建前に批判している


昔も今も

最近でも


全ては


批判がどうあろうとも


建前どおりに動く


是を


絶対見ない人間


今度こそはといつも言ってる、



建前で生きる人間が


強い力の


戦争を

止める事は不可能だ


歴史もいつもそうなのだけど


今度こそは

いい意見をみんなで仲良く

言い合う事が実現できれば


戦争はとめることができると。


無理です、自画自賛なのです。

歴史も、人類も、


強い建前世界で

生きる人間が続く限り。

大拙が

戦争前に


大和魂のくだらなさを言ってる。


が、なんの其の

彼ほど大宗教家の至言でさえ


なんのその


やまとだましい一本で

多くの人命が


藻屑と消えた戦争に大和魂

は絶大な力を発揮した。


戦争は物理現象でなく

常にやらせであるのに


こんな魂でこうなる。