マックで他人の日刊スポーツ盗み見て知りました。

富樫がまだ10両の頃より

自分は相撲ファンで


こどもの田舎時代を思った。


相撲ばかりやっていた気がする、

田んぼで宙返りの遊びもチャンバラもm何でも

遊びのパターンは全部やってた



ところで、

人間の心は人類は未だ不明です


ということに関連して


この大鵬様に登場していただけるのが

よいかなと


ふと昼飯モアで食いながら

おばちゃんと話していて思ったので。


以下です。



大鵬は偉大だ、

人生生きてるうちに

浮世にとって良い事をする事がやはり大事


と記事が在り

当たり前なのです。


肯定否定の問題ではなくて

是は心の問題です。

現代問われているのは

こういう心のことでは

無いのです。


スポーツ紙で、皆が読み

感慨在り、おもうこと


これが心です、


心が他人という人間の生死を見て

思うのです

この心を自我というのです。

自我は他人の死を突然ではあったが

しかし、普通に、自然に眺めています。


引きかえ、

自分のことになれば

大騒ぎします

思うこと、自我は


死ぬ前から

何ヶ月も大騒ぎします

誰でもです、

死という普通の自然現象ごときが

まるで見ることが不能になります。

何故自我がこういう風に死を見るのでしょうか。


自我というものは死を見ることは

矛盾的だからです、


大鵬の死は他人の人間実在を

自我は平然と見るのです。


自分の場合は

人間が実在してるわけでは

無くて実存してるので 


自我では見ることは

不能なのです、


死ぬ瞬間に自我は消滅

する、

死を見ることが

不能な自我です、


自我は自己の実存を

正確には見ることが不能なのです。


自我を心と言います。


実存はかけがえの無い

自分一個のものです

宇宙に一つです。

実在は何百何千おく歴史上在りました。


心は頭脳であるか、人間の身体全体であるか

東西の思惟は分裂です、


自分は心は

宇宙に一つの

ケンウイルバーを

正しいと思っています、


ご参考までです。