皆様、こんばんは!
以前からヤングアニマルで読んでいた
「ペリリュー 楽園のゲルニカ」
をヤフオクで落として読んでました。
ペリリューというと聞き馴染みがないかかもしれませんが、南国パラオ諸島に属する島です。
そこで我々の祖父の世代は弾薬はおろか食料すらない最悪の状況で沢山の命が奪われました。
第二次世界大戦で戦略を立てた参謀達は果たして本当に勝つ気があったのだろうか?
ある日テレビを見ていると名前は忘れたが神風特攻隊を指示した人へのインタビューで海軍の飛行機が被弾してよもやとばかりに特攻をかけたらたまたま上手くいって、それを妬んだ陸軍が
「じゃあうちはもっと多くで!」
と海軍よりも多くの数を特攻させたという、遺族が聞いたらぶち殺されること間違いなしな言い訳をテレビで平然と言っているのを観て唖然としたり。
私の祖父はビルマ戦線にて負傷して帰ってきたが、インパール作戦はこれまた最悪だったらしく。
祖父は戦争のことを決して多くは語らなかったが、折に触れてちょこちょこ教えてくれたことがあった。
四人の子供達、つまり私の叔父達や叔母には決して語らなかったことも。
そして最後には
「戦争だけは絶対あかん。」
と言っていた。
今にして思えば幼い私が鉄砲を持って、
「これで敵を撃って殺しまくるねん!」
とか、
宇宙戦艦ヤマトを観て
「ガミラス星人をやっつけろ!」
とか言うのを聞いて祖父はどう思っただろうかと心が痛む。
祖父がビルマの戦友会に請われ、本を出したことがあり、後にその悲惨さの一部を垣間見ることになる。
しかしあの戦争を戦ったことがある人は皆周知しているような、私が祖父から聞かされたような内容は避けてあった。
そんな祖父の中隊長をしていた頃の奮戦ぶりがビルマで戦った当事者の方がネットにアップされていてビックリしたことも。
先の戦争の悲惨な記憶が完全に消え去りかけている。
「当事者が声を上げないから!」
という言葉を聞くが、当時はPTSDなんて言葉もなく、一人でトラウマを乗り越えなければならなかった人達に対してこういう言葉を投げかけるのはあまりに酷だと思う。
そして為政者が戦争に舵を取って治安維持法のようなものが発布されたら私もあなたも戦地へ赴かなければならない。
もちろん国防というのは国の最優先事項であるし、侵略されたら悲惨な目に遭うのは我々だ。
しかし無益な戦争で悲惨な目に遭うのも我々なのだ。
現に今でもウクライナ、中東で戦争は起きていて、悲惨な目に遭ってるのは一般の我々と同じついこの前まで普通に暮らしていた市民です。
自衛隊の皆さんは細心の注意を払いながら国際問題に発展しないよう本当によく頑張って下さっていると思う。
どうかもうあのような悲劇が起きませんように、と祈ることしかできない。
そして多くの祖父の戦友達が眠るビルマへ供養しに行きたいなと思いました。
ありがとうございました!