本当は去年中に書き上げたかった西国三十三箇所霊場巡りも結局は今年になってしまいました
ここは六甲山系再度山にある大龍寺。
こちらのお寺に無事に西国三十三箇所霊場巡りを満願させて頂いたことのお礼参りに!
こちらのお寺では時々イノシシさんが歩いているのを見かけます
六甲山系のイノシシさんは人間慣れしていることもあり、触れたりちょっかいをかけたりしなければ襲ってくることはほぼありません
もしこちらへ来られる方がいらっしゃったら是非住職さんとお話ししてみてください
ものすごく良い方で、お話しして頂くだけで心が和みます
高野山の明王院で修行されたそうです
もしも西国三十三箇所霊場を巡りたいのに巡れない人のためにという意図もあり、今回ブログにアップしたわけですが、追加で後から、
御朱印もアップしています
ので、よかったら下記リンクから見てくださいね
正確には一昨年が1300周年だったようなのですが、番外以外の御朱印は全て各お寺の1300周年記念の判が押されています
で、この西国三十三箇所霊場巡りですが、時期さえ間違わなかければあまり無理せずに7日で満願することが可能です!
その際は季節をよく考えてください。
つまりお正月や桜の季節や紅葉の季節はとんでもないくらい人が多いところが多いです
私も実際、石山寺や勝尾寺で失敗しています
巡礼モデルとしては、
・青岸渡寺〜紀三井寺〜粉河寺〜施福寺〜葛井寺
・円教寺〜一乗寺〜播州清水寺〜花山院〜中山寺
・勝尾寺〜穴太寺〜善峯寺〜総持寺〜元慶寺
・壺阪寺〜岡寺〜長谷寺〜法起院〜南円堂〜三室戸寺
・清水寺〜醍醐寺〜今熊野〜六波羅蜜寺〜六角堂〜革堂
・三井寺〜岩間寺〜石山寺〜長命寺〜観音正寺
・成相寺〜松尾寺〜竹生島〜華厳寺
こんな感じで、もっと上手くすれば六日でいけるかもしれませんが交通事情も鑑みて、七日くらいに分けていくのがベストかと!
清水寺のように朝の6:00〜18:00まで開いているところもありますが、大抵は8:00〜17:00、あるいは16:30で閉まってしまいます。
この辺の兼ね合いを考えながら回るのも楽しみの一つかもしれませんね
もしもバイクに乗っておられる方なら、私はバイクでいくことをお勧めします
特に京都は絶対にバイクの方がいいです
道が混む上に、バイクの方が駐車料金が安いので!
車だと駐車場代と拝観料がかかります。
駐車場が500円〜1,000円、拝観料が500円〜1,500円、そして御朱印が一枚につき300円、さらにガソリン代、高速代と考えたら少しでも安くあげたほうがいいでしょ
ただし、勝尾寺はバイクでは行けないので要注意!
あと、
写経は絶対にして納経した方がいいです。
私も初めの方は写経して行かなかったので後悔しました。
結局もう一度写経だけ持って参拝させて頂くことになるくらいなら最初からやっておこうよ、みたいな
元々は納経の証として御朱印を頂いていたそうです。
なので納経もしてないのに御朱印を頂くのは何となく気が引けるものですよ
お寺でも御朱印がスタンプラリーのようになっていることを憂慮されている人が多いようです。
「最近はそういうの流行ってるみたいですが、集めてるの?」
と嫌味っぽく聞かれたことも
その時は写経していってたので、
「写経してきたので納経お願いします。」
というと態度が急変し、
「失礼しました。
お預かりさせて頂きます。」
ということもしばしば
何回か本文中でも触れましたが、お寺もろくに本尊様を拝みもせずに御朱印だけもらいに来る人が増えたことを憂慮しているのでしょう。
元々は納経の証として受けていた御朱印。
やはり納経ありきの御朱印なんだなと実感しました。
でも何より今回の旅で強く感じたことは、
神仏習合
についてです。
神だ、仏だ、と拘っていたのは時の権力者達であって、なんだかんだ言っても、民からすればどっちも尊いものであって。
アニミズムも神仏と同列に並んでいて。
民あっての国。
民なしには国は成立しません。
「お守りいただき、ありがとうございます。」
神様であれ、仏様であれ、基本はこれだったのではないでしょうか?
そうすると、最近は古神道由来のものであったり西洋由来であったりの人達が
「我こそは!」
あるいは
「我がメソッドこそは!」
みたいなことを口々に言ってますが、そんなもんどーでもいい主張なんだろうなと。
道は一つにあらず。
我々のご先祖様が神も仏も悉く同じように拝んだように、
「神性」を帯びているものに等しく手を合わせ、感謝する、
それでいいじゃないか。
我々日本人は存在しないものに美を感じる民族です。
神様や仏様の奥にある本質を捉えていれば、
優位性なんてどうでもいいんじゃないかな?
そして昔の日本の民はそれを感じていたのではないでしょうか?
今回の私の旅にはこの前読んだ天台座主の山田恵諦さんの思想に強く影響を受けています。
方便の門を開く
無欲は大欲なるが如し
愚か者でありなさい
これまでの私の生き方に後押しを頂いたように感じました
そして今ある余裕、今ある幸せ、これは決して永続的なものではないということを忘れないように。
時間的、金銭的な余裕がなければ西国三十三箇所霊場巡りもできませんでした。
この前神戸の地震から25年が経ちました。
当時、関西は大きな地震は起らないと言われていた中で、誰が一瞬で平凡な日常がいともたやすく奪い去られるなんて考えていたでしょうか?
当たり前なんて存在しない。
ちょっと考えたらわかるのに、そのことを忘れて、ありきたりの日常が続くという前提で私も含めて人はボヤいたり文句を言ったりしてします。
でも本当は当たり前と感じられる平和な日常こそが実は幸せなんだということを忘れないように。
私も神戸で被災して何人か知り合いを失いました。
今ある状況の幸せを忘れないように、先のことはわからないのであれば、今そこにある幸せを蔑ろにして先の欲を追い求めるのではなく、まずは今ある幸せを大切に生きよう。
先の不幸、先の幸せなんか、誰にもわからないのだから。
私だって死ぬにはまだ早い年齢ではありますが、どこでどうなるかなんてわかりません。
今あることへの感謝。
みんな忘れがちな大切なこと。
これを大事にしていくことで幸せが増し加えられていくんだなと
そして生きている以上、どうなるかわからないということは…
命さえあればたとえ全てを失ったと思えても、これまで、あるいは望んだ形とは違うかもしれないけど…
幸せになる機会があるということ
ありがとうございました!