最近ピアノの曲をよく聴いています
妹の命日が近いというのを無意識に感じているのでしょうか?
私は長いことピアノの音源は好きではありませんでした。
生のピアノの音はとてもダイナミックかつ繊細なのに、CDだと一気にまるで真空パックされた干物のようになって、鳴ってるだけ、のように感じていたからです。
加えて妹の練習をみていると…
そこには苦しみしかなく、ピアノを歌わせるというよりまるで妹の苦痛をピアノが代弁しているかのような音、苦痛の叫びだったから。
例外的に好きだったのは、マルタ・アルゲリッチのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のレコードだけ。
そんな私も大学生になった頃、妹と二人でよく聴いたジャン・マルク・ルイサダのピアノを聴いてようやくピアノもいいもんだと思えるようになったのです
それから20年ほど過ぎた今では数は少ないですが、好きなピアニストもいます
アルゲリッチの情熱、ルイサダの癒し、サンソン・フランソワの芸術という名の熱狂、クララ・ハスキルの暖かさ、そしてそれらを超越した…
ディヌ・リパッティ
私のようなニワカが4の5の抜かす前に彼の演奏する曲を聴いてみてください
昔の録音なので、ちょっと耳障りが悪く感じる方もいらっしゃるかもしれませんね
彼は1917年の3月に生まれ、1950年12月に亡くなりました。
享年33歳。
この録音は「告別リサイタル」と銘打たれたリパッティの最後のコンサートの一曲目です。
最初の指慣らしからもはや音楽です
楽譜通りに弾いているはずなのですが、ここまで軽やかに、優しく、愛らしく、雄々しく、力強く、気高く演奏されたパルティータを私は聴いたことがありません。
まるで祈りのような
16歳にしてウイーンの国際ピアノコンクールでファイナルまで残り、若すぎるという理由で惜しくも次点
そのことに腹を立てたアルフレッド・コルトーは審査員を降りたというのは有名な話
その後、ピアノをコルトーに、指揮をシャルル・ミュンシュ、作曲をポール・デュカスに学んだのですが、デュカスは、
「我々が彼に教えることは何もない。我々にできることと言えば彼に作曲を励まし、彼の発展を導くことぐらいだ。」
と言ったとか。
デュカスが他界したため、彼のあとをナディア・ブーランジェが引き継ぎ、リパッティはブーランジェに強く影響を受けたようです
リパッティの演奏は楽譜どおりのオーソドックスなものだそうです。
それなのに何故こうも他のピアニストと違いが出るのか。
それは楽曲に対する理解と、それを体現するための膨大な練習、そして彼の性格ー彼の純粋で高貴な魂によるものだと私は考えています。
我々の世代だとこのピアノに馴染みのある方は多いのでは?
0:54あたりの
「僕はウルトラセブンなんだ!」
っていう告白の後のピアノ、これ実はリパッティが弾いているシューマンのピアノ協奏曲なんですよ!
この衝撃的なシーンを覚えておられる方も多いと思います
もちろん私は再放送世代ですし、観たのは恐らく幼稚園に入る前くらい?
それでもこのシーンはインパクトがありました。
なんと知らず知らずのうちに、我々はリパッティの音を耳にしていたんですねぇ
リパッティがコロムビアと専属契約を結んだのは1946年。
しかし、その頃には既に彼は病魔に侵されていました。
そのため、彼の音源はそれほど多くはないのですが、そのほとんどはなんとロンドンのアビーロードスタジオで録音されたとのこと!
ビートルズもジミヘンもここを使っていることはしってましたが、そんなに昔からあったとは
ここでいくつかの音源を
バッハ 主よ、人の望みと喜びを
ショパン ワルツ12番
グリーグ ピアノ協奏曲
モーツァルト ピアノソナタ8番
ショパン ワルツ10番
バルトーク ピアノ協奏曲3番
そしてついに…
リパッティの寿命は尽きようとしていました。
当時、コーチゾン治療はわずかに寿命を伸ばすための手段でしかなく、高価だったにもかかわらず、ミュンシュや、彼の音楽を愛する人々の寄付によって健康を回復したリパッティは最後のコンサートに臨みました。
1950年9月16日。
コーチゾンの効果も虚しく、この頃には彼はすっかり衰弱していて、主治医が彼を思いとどまらせようと説得するも、
「私は約束した。私は弾かなければならない!」
と繰り返すだけ。
演目最後のショパンのワルツ集は14曲。
彼の考えによって順番は入れ替えられていたのですが、13曲を弾ききり、最後の第2番…
彼は力尽きて倒れてしまいます。
聴衆が悲しみとショックで混乱していると…
リパッティが再び現れ、静かに「主よ、人の望みと喜びを」を弾いたそうです。
録音が止められていたため、この音源は残ってはいません。
彼はその年の12月2日まで生きていました。
最後は奥さんとベートーヴェンのへ短調弦楽四重奏曲のレコードを聴きながら
「偉大な作曲家になるということだけじゃ充分じゃないんだ。
あのような音楽を書くためには、神に選ばれたもう楽器にならなくてはならないんだよ。」
という言葉を残して…
のちにコルトーが来日した時、
「若手で最も才能があり、将来を期待できる演奏家は?」
という質問に対して、
「リパッティ…しかし彼はもういない…」
と言わしめたとか。
彼の演奏を祈りのように感じるのは私だけでしょうか?
私には彼の演奏は全人類のための祈りであり、希望だと捉えています。
これは私の妄想ですが、かつて髄膜炎で死にかけた時、夢うつつにリパッティが現れたことがありました。
実はこの時、マジで死にかけてたんですよねぇ
本人は自覚なかったですが
あの頃べへシュタインなんてピアノメーカーは知らなかったのですが、忘れてるだけで写真とかで見たのかも
それでもあの時夢か幻かで観た彼の演奏が、友人がお見舞いに来てくれた時、
「もう疲れたよ…」
と言っていた私に生きる気力を与えてくれたのは間違いない事実。
彼の祈りが生きとし生けるもの全てに届きますように…
もちろん今は私は元気ですよ
そして今年も…
イチゴジャムの季節が巡ってきました
ヨーグルトに入れてみたり
作り方はこちら!
ありがとうございました!