トーニャ・ハーディング/鏡とは | プレステージ加藤(トーニャハーディング)のブログ 〜 風あざみ 〜

プレステージ加藤(トーニャハーディング)のブログ 〜 風あざみ 〜

コメダ、電車、黒人音楽をこよなく愛する吟遊詩人。
エンターテインメントユニット・トーニャハーディング所属。
ジャズ、ラテンへ憧れ漂うポップ・ダンスミュージックをお届け。
酒、茶、食、服、街、歌、芸、などについて、

私はトーニャハーディングという2人組の
総合エンターテインメントユニットをやっていますが
トーニャハーディングとはその相方の方が元々
DJネームとして名乗っていたものでした。

http://cajon-forever.com

彼(元祖トーニャと言おう)のブログ、うむ、アツい。

元祖トーニャとは学生時代バンドをやり、その解散を経て
6年の時を越えてユニットとなりました。
経緯↓↓、、、汗
http://cajon-forever.com/archives/1967517.html

「お前がちゃんと書け!」って言われそうだけど
文章力がないのと照れくさいのもあって、、、
すんごいいろいろあったってのは分かるでしょう。

今回トーニャハーディングとして再結成(結集)するにあたり
もちろん、面白いことをやる、良い曲を書いて演るってのは1番大事です。
だけど、それより、っていうか言ってみれば「0番目」のモノが見つかった。
それは、トーニャハーディングであり続ける事
トーニャハーディングである事をやめないこと。

以前バンドでやってた時は論の展開の仕方が
良いライブがやり「たい」→でき「ない」→では解散、終わり
というような感じだった。

まあそれは間違いじゃないかも知れないけども、
単純に「何何したい」ってのって本当に
「あ~アイス食べい」ってのと一緒で
「たい」って思う→かなった「わーい!」、だめだった「あーあ」
それだけで終わってしまう事がほとんどだと思う、
少なくとも俺はそうだった。

んで自分がトーニャハーディングである、とすることが
自己肯定というか、そう思う事で「~になりたい」とか
「~をしたい」ではなく、
「トーニャハーディングである」から「~(面白い事等)をする」
のが当たり前、とまでは行かないにしても常に演繹的に
次なる行動に向けて少なくとも準備できてる自分がいる。

まあユニット、グループってのの魅力、って話かもしれないけど
俺の場合、元祖トーニャ、この人だからこそこう思えてるって
部分が大きいのでちょっと書いてみました。

んで、話大きく変わるか関連してるか分かんないけど
その元祖トーニャ、そして俺も大好きな曲が以下、黙って再生

マンインザミラー/マイケル・ジャクソン

そして元祖トーニャが一昨日のFacebookの近況で以下のように書いてる

僕は鏡の中の自分から始めるよ。
鏡の彼に変われと言うんだ。
これより明確なメッセージは他にない。
世の中をより良い場所にしたいなら、
自分自身を見つめ、自分を変えることさ。

マイケルのMan in the mirror何度聴いても泣いちゃう


世の中で自分が変えられるのは自分だけ、そうなんですよね~。
コノ曲紹介して終わりでも良いんだけど、ちょっとだけ、、、

思ったのが「鏡」ってもちろんリアルの立ち鏡でもいいんだけど
比喩的にももちろんとらえられるよね。
そしてそう考えるともう少し単純になる、
自分が普段聴いてる音楽、読んでる本、食ってるもの
ふれあう人々、、などなど、すべてその時の自分を映し出す鏡である事は間違いない、

少したまにはリラックスして深呼吸して
自分が無意識のうちに相対し流してる物事とかにも目を向けると
ここ変えてみたらもっといいんじゃないかな的なのがみつかるかも。
、、、ってな超ポジティブで楽しい解釈までできる!

良い曲なので上の画像を5回はみましょう!
そしてトーニャハーディングバージョン、、、
ってのがあるから、、、それの音源をみんなで期待しましょう、、、w