どんなに
いい教えを受けても、
どんなに
いい話を聞いても、
その受け止め方、
どう活かしていくか
その差は
天と地ほど開きがある。

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ドキッとしました。



同じ場所にいても

同じものを見ていても

同じものを食べていても



その人の根底にあるもので
大きく変わってしまうんだと思いました。





真剣に生きたい。

流し、他人ごとにするのではなく

全部、自分ごとで考えていきたい。

人のことも、そうに思いたい。



私は

自分のことすら

他人ごと?

流れに身を任せて~的な考えだったです。



人って変わるんだなあって

思います。




私は、なんで変わったのか。。。



出逢い。のお陰

だと思います。




いとう眼科に出逢うことができ

学ばせていただく中で

今に至ります。




「感動」

感じて、動く。


感動すると
人は動くんだって
自分をかえりみても
思います。

動くから
変わる。



いとう眼科では

感動の連続です。



私心ない姿をみせてもらい感動。

仲間の一生懸命な姿に感動。

こんなに、していただいているんだって感動。

自分が休んでいる間も
誰かが、必死に頑張り守ってくれているから
今があるということを
教えてもらい感動。

真っ直ぐ生きている姿に感動。



自分ではコントロールできない

私の心臓やら、呼吸やら、諸々のものは

大いなるなにかに

動かしてもらい、生かしていただいていると教えてもらいました。



自分で生きれているわけもなく
両親に産んでもらい
他の動物の命をいただいています。

みんなのお陰で
できている私。

それは、私個人的なお話ではなく
みんなが、そういう存在。

誰かの犠牲があり
支えてもらい
存在できています。


自分の命では
ないんだなあと思うと
みんなの命も自分の命も同じように思えてきます。


そして、支えてもらい
生かしてもらっているなら
支え合うのが
自然だと思います。

私!
私!!

では、ないです。


やってくれて、ありがとう。

で、終わりでもない。


もしも、みんなが

支えてもらうだけ
奪うだけの存在なら
私は生まれていないんだろうなって思います。






そこで、初めの文章に戻るのですが

今、こうして生きていることができるのは

私個人的な問題ではないようです。



根底にあるもので
大きく変わってくる。。。?


でも、みんなで
支え合って生かしていただけている存在なのだから
根底は
一緒なのではないかなって
思います。

だって、そうじゃなかったら
私が生かしていただけている奇跡に
納得いきません! 笑

わかっていないけど
見えていないけど
魂は知っていて
だから、支え合ったり
食べたり、食べられたり。。。




ちゃんと、知りたい。


私が生かして頂いている意味を。


ちゃんと、生きたい。


私はみんなのお陰で生かして頂いているのだから。






iPadから送信
最近よく思います。


事務長の頭の中は
どうなっているんだろう。



常に誰かのことを思ってくれているんだろうなって
ことは、分かるんです。



ブログを読ませていただいて
なんで、こんなふうに感じれるんだろう。。。
と不思議でした。

私は同じ場所や、人と出会わせていただけたとして
事務長のように感じることができるのか。。?
なにを感じ、シェアできるのか?


私らしい感じ方を
大切にしたい??

うーん。
逃げている。。。

今までは、そうだったなあって
思います。



生きて行く中で
私らしいって必要?

私らしくいることに
意味がある?
誰かのためになっているのかなあ。



自分ではない
誰かになろうとかではないですが。。。



何のために生きるのか。



いただいた命を
ちゃんと使わせていただきたい。
そして、繋げたいです。


ただ、繋げればいいってものでもないですよね。

どんな生き方を私はしているのか。

今が問われてて

当たり前ですが
まだまだで

でも、進む道を示していただき
ブレない背中も見せていただけています。

恐ろしく、ありがたくて
あり得ない環境に
いさせていただいています。

どの時間も
大切にしなくてはです。
インドに行かれた事務長。


インドで起きていること。


実際に目で見てきたことを伝えてくれます。



道端では
物乞いとして地べたに座り
生きている親子。

その道を馬車!?に揺られ
勉強しながら
学校へ向かう子供。

観光で歩く人。


同じ道なのに
なにがこんな差を生むのか。。。


と、事務長がブログで
書いてくださっていました。





「幸せ」という曖昧さも教えてくれました。

http://ameblo.jp/em-u/entry-11777554906.html





これが手に入ったら・・・

もっと、もっとの世界にいる私たち。



どこまで行ったら

その、もっとは

満たされるのか?



それは、こんな世界だそうです。

http://ameblo.jp/ashleys-info/entry-11777747312.html?frm_src=favoritemail



インドの方の生活を感じることができたら

少し気づけるのでは。。。



もう、十分満たされていることに。



「もっと」と、奪うのではなく

なにか、させていただけることが

あるって思えてきます。



かわいそう。。



嘆くのは

簡単です。




私たちには

なにが出来るのか。


考えていかなくてはいけない気がします。


与えていただいた環境です。




以前、教えていただいたことがあります。


例えば
師匠がいたとして

その師匠にとって
嬉しいことは

自分を喜ばしてくれたり
何かを返してもらえることではない。と。



そしたら
私を生かしてくれている
何かは
なにを求めているのか?

この命を何に使って欲しいと思っているのか??



インドに少しばかりのお金を寄付すること。。。?

夢を実現させること。。。?




自分では、なにが正しいかなんて

わからないです。


だから、

求めて

求めて

素直と謙虚な心で

向かって行くしかないんだなって思いました。




もっと、もっと・・・

同じ「もっと」と求める心でも

欲を満たすものではなく

生きる目的に向かって

進んで行きたいです。