筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

      旧国鉄 幸袋線 は 今  その8(高雄分岐点-庄司・高雄駅)



  旧幸袋線の高雄分岐点 は 幸袋駅より1.0km北方 にあり 1909年(明治42年)1月1日、高雄分岐点-高雄を 幸袋線 とし庄司・ 高雄駅が 延長されました。  しかし 実際において石炭輸送の専用線の為 あまり人の目に留まらない 地味な区間 ではありました。 そのため資料・ 写真等の記録少なく 石炭最盛期は活躍したのですが 1945年(昭和20年)6月10日 幸袋-高雄間の貨物支線 を幸袋駅構内 に併合し廃止 となっています。


 唯一の証拠として 大正15年-昭和7年の旧陸地測量部の5万部の中には せきたん の文字と 白旗山 を越え高雄坑二坑・相田に至る 軌道敷の印を見るとき 大きく貢献の時代があったのを知ることができます。 ただこの地で生活した人達には 写真の中に見る 高雄一坑住宅での お祭りの中に その当時の繁栄 を思い起こさせてくれます。


 同じ 幸袋線の中でも 道路として変身した区間 と 今は道路となっていても あまり知られていない この区間のように 幸袋線 は時を経ています。 昔炭鉱住宅であった所が雑草に覆われ 人の記憶から無くなって しまったところも多く なりました。 


 日本中の多くの場所では、昔と比べ 賑やかになる地区がほとんどですが この筑豊の炭坑で栄えた地区においては 逆に自然に戻っている場所も多く 筑豊の石炭により明治・ 大正・ 昭和 と活躍した 事を 少しでも記憶として残したいと思う 筑豊風土坊 でありました。 
 
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    飯塚絵地図吉田初三郎画(昭和9年)        高雄分岐点-新二瀬駅付近(5万拡大)

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    現在の幸袋交差点(旧高雄分岐点)           高雄一坑付近地図(昭和35年)

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      幸袋交差点より高雄一坑方へ              幸袋栄町付近の現在

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幸袋付近の昭和7年地図(5万拡大)       幸袋付近の昭和21年の地図(5万拡大) 

 
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      現在の 高雄一坑の交差点方        現在の高雄一坑付近の に高雄二坑方

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        高雄一坑社宅全景 1                  現在の高雄一坑付近

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     炭坑住宅の祭り(昭和15年頃)                高雄一坑社宅全景 3            

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        高雄二坑社宅全景 4                 高雄二坑社宅全景 1

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        高雄二坑のボタ山  2                   高雄二坑全景3

 
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       信号機 3 航測写真                夕暮れの旧高雄二坑炭坑住宅



  地図情報   高雄分岐点    北緯   33度39分52秒   東経  130度41分09秒 

           旧幸袋駅     北緯   33度39分45秒   東経  130度41分05秒

           高雄一坑社宅  北緯   33度39分52秒   東経  130度40分39




            旧国鉄 幸袋線 は 今   これにて終了します。