筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

     2014年 飯塚山笠  山笠 と 旧飯塚川   (飯塚山笠 その14)



 飯塚市民祭 飯塚山笠の掲載で よく 旧飯塚川 という 名称を使う中で 筑豊風土坊を知る方々からよく聴かれるのが 旧飯塚川どこにあるんですか?  の質問や 現在の緑道公園らしいけど橋 なんかないですよなどの質問が多くでます。 


山笠の東流れ・西流れ にしても旧飯塚川の東西 と記載していますが現在の飯塚を知る人達にとっては まったく疑問かも知れません 以前の 筑豊風土記のなかで多くの箇所(山笠・遠賀川のテーマ) 説明してはいますがあまりにも変化・様子が変わりすぎているため 理解できない事になっています。 (旧飯塚川は、地下にボックス形の川となる) 


旧飯塚川 は、 現在の徳前大橋の上流(現在の左岸若菜ポンプ場)付近より老松神社付近に老松橋・ 徳前橋(現在の徳前橋ではない)・ 辻の堂橋・ 明治橋・ 榎橋・ 白水橋・ 栄橋・ 住吉橋・ 島田橋・ 新地橋・ 寿橋・ 壇の上橋・ 神明橋・ 中の橋・ 常盤橋・ 吉原町橋・ 片島橋・ 片島水門までの旧飯塚川で現在一部まだ川 と 道路・ 緑道公園 となっています。(飯塚追い山コース図の中には明治橋より下流記載)(辻の堂橋・寿橋・神明橋は記載もれ) 


実に 飯塚の街中には、17の橋が架かり 川の町・水も綺麗で醬油・酒の造場所があり。 嚢祖八幡の前でも子供達にとっては水浴び・魚取の楽しめる 旧飯塚川 であったと言われています。 筑豊風土坊の小さい頃も 嚢祖八幡のお祭りには、旧飯塚川の渕には なよなよと柳の木が揺れ ところどころに 川へ降りる石の階段があった事 と川岸の祭りの提灯を子供心に覚えています。


その飯塚の街と旧飯塚川 にとって切っても切れないものが 飯塚の山笠 であり白水橋・栄橋付近では、 昔の山笠は流されぬよう綱を張ってわたったとも記されています。 この昔の飯塚を知る橋のあとはほとんどの場所に 橋の位置を示す橋柱 が残っています。 山笠ももちろんですが このふるい橋の橋柱も訪ねてみませんか !


昔の山笠は、 飾り山の状態でかついだ 時期もありますが 電線や看板などの障害物のため現在の低い山笠となり・ 一部据付のチッチャな飾り山が名残として見られます。

本年は、ザヤマビジョン なる山笠紹介誌が JCI より発行されています。筑豊風土坊の年齢には少しなじめない冊子ですが 山笠用語・山笠の歴史 記されています。 少し山笠からは外れましたが 昔の山笠と飯塚・旧飯塚川 を見ていただきました。
(以前の、筑豊風土記 遠賀川旧飯塚川・飯塚山笠も御覧ください)


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      飯塚おさんぽマップ(飯塚井筒屋の島田通りに展示)子供さん作成

  

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     明治30年当時向町飾り山笠             明治35年当時飾り山笠        

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       明治35年当時の飾り山笠              昭和8年固定飾り山

   J03 J04
         白水橋と旧飯塚川               栄橋と千鳥屋(昭和通り)

  J05 J15
        寿橋 と旧飯塚川           一番太鼓と旧飯塚川(壇の上橋)


  J09   J06
         東町の山笠               嚢祖八幡と旧飯塚川(神明橋) 


  J07 J08
      昭和30年本町子供山笠            宮の下附近を通る
の山笠
   J13 J14
    
現在ザ・ヤマビジョン          ヤマビジョンの山笠の用語・歴史を紹介

   G00
                  飯塚追い山コース図 と 旧飯塚川



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