筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

筑豊風土坊のブログ

筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

             旧仲哀隧道  その2  (13)      

            ( 新仲哀隧道(新仲哀トンネル)と呉川眼鏡橋 )


 旧仲哀隧道の話をしてきましたが、実際に仲哀隧道を訪れると、仲哀隧道は3本の隧道が現地にあることに驚かれる人達も多いと思います。 もちろん明治の 旧仲哀隧道 は前回話した隧道 そのほかに 昭和42年(1967)に延長1220mの 二代目の新仲哀隧道 さらに 平成19年(2007)に延長1365mの 三代目の新仲哀トンネル の3本が現存します。


おやっと思われる方も多いと思いますが 筑豊風土坊 年寄りなのか 隧道とトンネルは同じ意味なのですが 隧道の名称を一般には使います。 このため 明治の 一代目を旧仲哀隧道  昭和の二代目を新仲哀隧道  平成の三代目を新仲哀トンネル と呼ぶ こだわりがあります (あくまで筑豊風土坊のこだわりです) 当然現地での 隧道名称は 二代と三代の 坑門口には多分同じ 仲哀隧道 となっていると思います。


ここで驚くのは二代目新仲哀隧道は、活躍した期間が40年少し隧道の使用された年数から考えると短命です。 理由としては、一日通行量が22000台に達した事 と 歩行者・二輪車の対応と危険性 が理由となっていますが 少し短すぎるかな----? と思う筑豊風土坊であります。 (将来を見通して は必要なことですが 難しことですかね?)

もう一つ考えるのが、二代の仲新哀隧道は予備として使われることは当然ですが平常時の何らかの使用ができないか? (使用となれば照明経費などか出てきますが? 民間での地下水利用の養殖等 もちろん緊急時対応は大切です)


仲哀隧道の香春坑口付近より、もう一つの 近代化遺産 呉川眼鏡橋 がすぐ近くに見えます。  この呉川眼鏡橋は 明治19年(1886)旧仲哀隧道 が開通に合わせて造られた橋で 呉川に架けられ広島の石工により造られ 全長8.6m 幅員4.2m 石材は花崗岩を使用した 一連橋 で遠賀川水系では唯一 当時のままの姿を残し 平成12年(2000)4月国登録有形文化財 として登録され 現在も生活に必要な橋として活躍 しています。



仲哀隧道 に訪れた時には、呉川眼鏡橋 にも訪問し まだまだ頑張れよ の激励をお願いする 初老 筑豊風土坊で あります。


筑豊風土坊のブログ-仲哀隧道調査地図    筑豊風土坊のブログ-仲哀隧道付近航空写真
     仲哀隧道調査地図                   仲哀隧道航空写真

筑豊風土坊のブログ-新仲哀隧道遠景    筑豊風土坊のブログ-新仲哀隧道
       仲哀隧道遠景1                     仲哀隧道2                  

筑豊風土坊のブログ-新仲哀トンネル1    筑豊風土坊のブログ-新仲哀トンネル2
         仲哀トンネル1                    仲哀トンネル2


筑豊風土坊のブログ-新仲哀隧道遠景   筑豊風土坊のブログ-新仲哀トンネルと呉眼鏡橋
        仲哀隧道遠景               トンネルより呉眼鏡橋


筑豊風土坊のブログ-呉眼鏡橋付近  筑豊風土坊のブログ-呉眼鏡橋1
        呉川眼鏡橋1                    呉川眼鏡橋2               


筑豊風土坊のブログ-呉眼鏡橋2    筑豊風土坊のブログ-呉眼鏡橋3
          呉川眼鏡橋3                     呉川眼鏡橋4


仲哀隧道香春口   緯33度40分42秒  東経130度52分38秒 

仲哀隧道勝山口 北緯33度40分55秒  東経130度53分21秒

呉川眼鏡橋      北緯33度40分38秒  東経130度52分32秒  標高 102m 

 


           次回は  遠賀川 に架かる 筑豊の鉄橋  へ