筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

         現代の遠賀川 その2 (五平太舟)   (15)


 五平太舟これは平安の時代(1130頃には艜(ヒラタ)と呼ばれる)、都への米等の輸送に また近世、鉄道輸送がない頃は 石炭の運送に使われた 平底の筑豊独自の川舟 です。

最盛期には、8000・9000隻とも言われた川艜は 昭和20年代には姿を消しました。


多くの五平太舟と船頭達が 遠賀川を櫓をこぎ・竿をさし・時には押した 幻の舟でした 保存されたところもありますが 現在使用できる状態ではありませんでした。


平成14年(2002)に 川舟の復元 をしようと 有志(43名)が集い、制作費も 参加者負担で手造りの五平太舟 を 文化財の2分の1大の舟2隻を作成・使用していましたが 平成21年(2009)より全長13.8mの幻の五平太舟を 川船製作研究会 梅沢邦夫会長 メンバー30人で製作開始となりました。 船大工の本職はおられないようですが山から木を切り板にして乾燥・曲げ・船釘製作と大変な時間と動力で 完成・進水式・検査までやられたのですがまたまだ本格的に お客様を乗せる ところまではなかなか進まないようです。


計画では、運行は他の組織が、一度着工はしたのですが お金・組織・運行に携わる色々の要素が実行をストップさせました。  実際運行の為の調査は、平成20年(2009)5月から3ヶ月間 遠賀川の運行調査・水深・流速・環境・土質・生物・船着場と船置き場・搬入路などの調査を行いましたが公に見られる事も無く お蔵入になりました。 全線水深が80cmの水深が取れない区間がある などの問題は もちろんありますが やはりお金と組織の問題で放り出 になりました。


個人的に考えますと せっかく 造った 五平太舟 見ていただく  何らかのかたちで 筑豊の五平太舟 と 遠賀川を 知って頂く いい方法は ないかなーと (船製作研究会  荒川 彰氏のギター一本の弾き語り 五平太船譛歌)CDを 聞きながら  思う今日 このごろです。 


筑豊風土坊のブログ-調査位置図  筑豊風土坊のブログ-試作五平太舟
          調査位置図                           試作五平太舟

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          切出材                           製作中五平太舟

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         五平太船讃歌                         台車と五平太舟

 
 筑豊風土坊のブログ-五平太舟運送  筑豊風土坊のブログ-着水
         五平太舟運送                        五平太舟着水

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          最終検査                          河川新深浅図 


 筑豊風土坊のブログ-門出舟着場図   筑豊風土坊のブログ-進水式
        門出舟着場計画図                        進水式


      五平太讃歌の絵  は 荒川彰氏 のCDラベルを使用させて頂きました。              



      次回は 現代の 遠賀川 その3  (芳雄橋・飯塚橋) へ