筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                          幸袋工作所     (5)


明治24年(1891)、伊藤家の本家であり伊藤長策の妹婿である伊藤保平が鍛冶であった為に、炭坑のメタル車輪を製作したいという原因で小さい鉄工所が幸袋の一角で開しました。

その後、鋳物車輪・車の心棒作り さらに炭車等と次第に規模を大きくし炭坑に必要な炭坑機械を製作しだした為 父伝六が中野徳次郎と相談し幸袋工作所を創設しました。


明治29年(1896)12月に 安川敬一郎・松本健次郎・麻生太吉・伊藤伝右衛門・中野徳次郎・貝島太助・平岡浩太郎らが大株主となって合資会社と変更しましたが、 大正初年(1926)に工作所は一朝にして火災により焼失しました。

その時 鉄工所では、東京火災と酒造火災の両保険会社に5万円の保険加入のため無事に災いを切り抜けることが出来ました。

大正8年(1919)鉄骨建築となり 工作所も大きく再建され150万円の株式会社の組織となり伊藤伝右衛門が社長に就しました。 

その後も炭坑機械を中心に徐々に炭坑用機械器具修理・製作の専門工場として日本でも大工場の一つとなり 特に中央からの最高学府出身者を迎え 職工学校の設置 によりその名はさらに大きく知られるようになりました。


その後、昭和30年代よりエネルギー革命の時代となり業績も悪化し昭和38年(1963)に日鉄鉱業に全株譲渡し 創業67年で経営は伊藤家から離れました。

平成2年(1990)幸袋工場は 幸袋の地よりよりすべて 庄内工業団地に移転し新しい歩みを開始しました。
 
   
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         幸袋工作所付近                  幸袋工作所全景
   
   
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         昭和10年当時のジャイロ               現在の工作所跡     
    
    
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         庄内工業団地の新会社                現在の工作所跡

    説明  上段より7枚の写真は 幸袋工作所百年誌・佐谷正幸氏

                             の写真を使用させて頂きました。


      今回の紹介場所 地図番号  旧幸袋工作所 9




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