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自分が自分のファンであるためには?

瞑想、アクセスバーズ、カウンセリング

ここ何年間か

「自己肯定感を高める」という言葉に

違和感を感じていて

この違和感の正体が

何なのか

掘り下げてみて、

気づいたことを書きます。


違和感を感じるキッカケが

「自己肯定感を高めるためにはこうすればいい」

といった内容を

やってみても

自己肯定感を感じれるんだけど

それが長続きしない。


「自分のやり方がおかしいのか?」

「信じきれない自分のせいなのか?」

と、結局自分の何かが悪いせいなのかと

悩んでしまうことになる。

で、

思うような結果が得られないから

だんだん

「自己肯定感を高めるためにはこうすればいい」

という文章に対しての

疑いが強くなっていった。


そんな中、ふと

「自己肯定感って高めるもんなのか?

そもそも、

自己肯定感って何なのか?」

という疑問が出てきた。



僕が感じる自己肯定感って

守られているような安心感や

充実感、満足感であり

または

このまんまの自分でいいんだ

という気持ちだったり、

何かに夢中になってるときとかに

感じるモノだ。


ウィキペディアには

自己肯定感とは、
自らの在り方を
積極的に評価できる感情、

自らの価値や
存在意義を肯定できる感情などを
意味する言葉であり、

自尊心、自己存在感、
自己効力感、自尊感情などと
類似概念であり
同じ様な意味で
用いられる言葉である。

とある。


つまり、

自己肯定感とは

感じるモノで、

感情、

感情などを意味する言葉

楽しい、嬉しい、苦しい、

憎い、辛い、

怒り、愛情、といった

感情の1つだ。


文字の語尾に

「感」がつくのだから

感情以外の何者でもない。


ところが

この自己肯定感だけ

「高い、低い」と

表現される。


まずこれに違和感。


そして

自己肯定感が高いことが

「良い、素晴らしい」で

低いと「悪い、ダメ」

というイメージを感じて、

これもどうも納得いかない。


感情に高い、低いがあるのか?

そして

感情に良い、悪いがあるのか?


僕の語彙が少ないせいもあるが

感情を口にするときって



「めっちゃ楽しい!」


とか


「ちょっとイラッとした」


というふうに


感情を

高低や良し悪しではなく


なんというか

強弱で表している。


もしくは

多い少ないといった

「量」といえばいいのか。


けっして


「楽しいが高い!」


とか


「怒りが低い!」

なんて言わない。


(怒りの沸点が高い、

低いというけど、

それは

どのラインで怒るのかを表していて

怒りそのものを

高低で表現していない。)



感情を良い悪いで

表現しているときって

それは

感じてるんじゃなく

頭で考えている。


良い悪いは

判断(ジャッジ)であり、

頭の中で考える思考だ。


どんな感情であれ

感情を感じた後から

良い悪いでジャッジすることは

よくあることだけど、


なぜか

自己肯定感だけは

高い・低いや、良い悪いで

最初から

ジャッジしているように思う。




自己肯定感は

感情なんだから


高い=良い、素晴らしい

低い=悪い、ダメ


といった

最初っから

ジャッジされるモノじゃない


まず、

感じるモノだ。



だから

「自己肯定感を高めるための方法」

みたいなネットの記事や

自己啓発本があるが

それって

そもそもが間違っていると思う。

(あっ、ちょっとだけ

ブラックな感情が漏れてる!(笑))



自己肯定感は感情の1つで

わざわざ

意図的に

高くしようとするものじゃない。

ただ

思い出すものだ。

自分の中にあることに氣づくもの。


だって

自己肯定感がない赤ちゃんなんている?


「泣くと周りに迷惑かけるし

こんな自分ってダメだ〜

ずっと笑ってなくちゃ!」

なんて

思っている赤ん坊なんていない。


と思う(赤ちゃんの考えは分かんないので)。


自己肯定感しかない。

赤ん坊は

存在そのものが

自己肯定感のカタマリだと

言っても良いかもしれない。



成長の中で

まわりから色んなこと学び

自分をそのまま表現すると

愛されない

守ってもらえないと

親から思わされたりして、

そんな勘違いが

どんどん強くなると

自分を否定する習慣を

持った人間になる。


でも

自己肯定感を低く感じても

低いだけで

ちゃんと「ある」し、

自己肯定感はなくならない。


(ちょっと脱線。

自己肯定感が高低で表現するのは


「低く」感じたり、

「高く」感じたりするからか!


うん、でも、

高低だけで表現するのは変だし、

高い=良い、低い=悪いという

構図が見え隠れしてるしなぁ…)



脱線したけど、

自己肯定感は「ある」んだから、

高めるものじゃなく、

自分にあったことを思い出すもの、

氣づくもの。


じゃあ、どうすれば

自己肯定感に

氣づくことができるのか?



自分で自分のことを

どう思っているのかを、

認めていくのが、

まず最初の一歩だと思う。


自己肯定感を

感じにくいと思っている人は

自分の思ったこと、

考えたこと、

感じたことを否定するクセがある。

否定するよう教わってきた。


たとえば、



こんなことを考えちゃいけない。


こんなこと思っちゃいけない。


こんな風に感じてはいけない。


そんなことを考えたら

世間からなんて言われるだろうか?



そんなことを感じるのは

自分がダメ人間だからだ。


本当は

こんなことを思っているけど

思っちゃいけない。



実は

したいことがあるけど、

そんなことをしちゃったら

周りになんて言われるだろう?





だから

思わないし、考えない。

感じたくないし、

したいことをしない。



こんなふうに

自分を抑えている。


つまり、

我慢している。



だから

自己肯定感を感じられないと

思うなら、

まずこんな仮定を

想像、妄想してほしい。




もし

「何を思ってもいいし、

どんなことを考えてもいいし、

何を感じてもいいとしたら?」

という想像、妄想をしてみる。


とりあえず

思うだけ、考えるだけ、

感じるだけ。


こんな想像、妄想だけなら

誰にも迷惑をかけないよね?
(しかも、タダ!(笑)

だから

安心して妄想をしてみる。


で、

何を思ってもいいし、

どんなことを考えてもいいし、

何を感じてもいいとしたら


普段、

どんなことを思っているのか?


実はどんなことを考えているのか?


本当はどう感じているのか?


そう自分に問いかけてみてほしい。



その上で

自分が思ったこと

考えたこと

感じたことを

できるだけ

全面的に受け入れていく。

自分で認める。


なぜ

「できるだけ」なのかというと

どうしても受け入れられない

思考や感情が

でてくることもあるから。

自分の本音を

認められないと感じるの

「あり」だ。

ただ、

こんなときに効く言葉がある。



「許せない自分を許す」



これを何度も言ってると

すーっと

 許せない自分が

ゆるむときがくる。




とりあえず、

1、「なんでもあり」と妄想する。

2、問いかけて、本音に氣づく。

3、その本音を受け入れるようにする。

自己肯定感を感じるための

流れはこんな感じ。



それだけで

自己肯定感は

どんどん強くなっていく。


なぜなら

自分で自分の本音に氣づけて、

その本音を

自分で肯定するから。



今まで

自分で自分を否定し、

我慢してきたのだから

自分で自分(の本心)を

受け入れ、認め、肯定するだけで

自己肯定感に氣づいていく。



自己肯定感は

高めようとするモノじゃなく、

自分の中に「ある」ことに

氣づくモノ。