命日の日の前日から雨でした。

天が見かねて、私が泣いているのか夫の死を嘆いているのかと

ひどく傲慢な考えが頭を過りました。

 

旦那の神は全く役に立つことなく、私の中で死んだことにしています。

しかしながら、私の神は慈しみ深いようです。

なので、旦那の神と混同して、罵詈雑言をしていた時期は申し訳ないです。

 

命日の前日の夕方から泣いていました。

雨の影響で、深夜に病院に駆け付けた日の土砂降りを思い出していました。

 

ここ数週間は気が気でなかったので、日課の大河ドラマすら視聴していませんでした。

Xの投稿が出来るようになったのはつい最近です。

 

雨に降られると予報を受けたので、墓参りは先週の土日にしました。

案の定、墓前にゴミが捨てられました。

私は旦那の両親に怒ればいいのか、管理会社の怠慢さを指摘するのか迷いました。

自分達が入る場所を綺麗に出来ない人達に構っている暇はありません。

 

 

墓参り後の締めの行動として、帰りに駅のホームで景色を見ながらお茶を飲んでいました。

コロナ流行が過ぎ、遠足や観光に行く多くの人を見送っていく中で人がいなかった時期を思い返していました。

 

去年までは月命日毎に墓参りに行ってましたが、ゴミの件で行かなくなりました。

せめて、祥月命日だけは行くことにしました。

 

お墓を綺麗にしている理由は以前も書いたと思いますが、彼の友人が来てくれるからです。

そして、ゴミは捨てても私以外に掃除をする人間がいないようなのです。

お墓と周囲の一年分の汚れを落とせてよかったです。

 

この時期は失った痛みを思い出す時期で心療内科で処方された薬を飲まないとやってられないです。

5年前に比べれば、喪失感を受容している部分もありますが、身を貫く耐え難い痛みに襲われます。

 

これは私が独りで耐えねばならない痛みでしょう。

罰ではなく、旦那を憶えている限りは無くならないでしょう。

辛い記憶と失った痛みすら私には恋しいのです。

 

ただ生きていることに感謝し、前を向いて歩くのはこんなに難しいこととは思いもしませんでした。

メメントモリの精神で今日も生き抜いています。