うつサバ
です
わたしが
最悪の症状だった時のお話です
読んでいて
気分が良いものではないので
離脱することもオススメします
但し、そういう疾患になった人の
気持ちを知りたいという
強い意志
があれば大丈夫だと思います
稀に、陰鬱な記事を読むことで
感受性の高い方は
引きづられることもあるようなので
では、お話します
わたしは、
家から出れませんでした
全てを遮断しました
スマホ
テレビ
窓
インターフォン
もちろん、ポストはいっぱい
正直、会社に行けなくなって
数日は記憶がありません
ある日の夕方
父
と
マンションの管理会社
がきました
突然、ドアが開いた瞬間
トンネルをぬける感じでした
その瞬間はよくわかりません
で、親父から
生きててよかった
といわれ
なんかやばかったんだな
と思いました
まだ理解はしきれてません
どよーん
としてます
寝起き
&
上司にしこたま怒られた帰り道
を10倍にした感じです
とりあえず、
男2人黙って座ります
おー、水飲むか?
あー、うん
そんな感じからスタート
徐々に
経緯を話され
なんとなーく理解しました
悲しみ
悔しさ
辛さ
虚脱感
開放感
全ての感情が
ごちゃまぜになって
全ての色が混じった
パレットを手にして
壁に投げたい
水の溢れたバケツ
動かない筆
何もしたくない
無になりたい
わたしの持ち合わす
語彙ではこれが精一杯です
状況を理解した親父は
近くの心療内科を予約し
泊まっていきました
何かあり合わせを食べて
わたしは食欲もなく
布団を頭までかぶり
沈黙
動きたくない
目覚めてしまったので
嫌なことが
頭の中を
グルグル
回って
落ち込んで
叫びたくなるけど
叫べない
いやだ、いやだ、いやだ、
なにもかもどうでもいい
そんな感じでした
昼間、父は仕事に行くので
代わりに
母が死んでから
母代わりの
叔母(父の姉)
がきました
母が死んだ後
わたしが独り立ちするまで
数年一緒に暮らしてます
毎年一緒に旅行もいってました
手前味噌の話になりますが、
昭和10年代生まれで
戦争を知り
がっつり男社会で
男尊女卑バリバリ
差別も当たり前の
新聞社で
部長まで
上り詰めた
叔母
気丈で
元祖
キャリアウーマンの1人
だと思ってました
退職してからは
徐々に丸くなりましたが
さてさて、
そんな彼女が日中
監視をしてくれました
わたしが暴挙にでないように
心配をよそに
わたしは布団からでれず
話しかけられても
反応もせず
排尿、排便の時だけ動く感じでした
でも、ほとんど飲食してないので
でないんですがね
そんな日が何日か続き
やっと診察の日
そして
に話はつながります
内容は落ち着いた客観的視点で書いてます
読み直して頂いても良いかもしれません
その後の症状については
後日お話します
これ以上、書くとわたしもつらいので
