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多弦Gutarist Tominha の部屋

10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

 

 「一神教」の元祖と言われるユダヤ教も、最初から一神教であったわけではない。ここからはしばらく加藤隆著『一神教の誕生』(講談社現代新書)に負いながら、話を進める。

 ユダヤ教は昔も今もユダヤ人の「民族宗教」である。「」をつけるのは、「ユダヤ民族」という言い方が妥当かどうか、という問題やそもそも「民族」という概念自体が曖昧だからである。ただし、ユダヤ教はキリスト教とは違って「入信」はできない。逆にユダヤ人は生まれた時からユダヤ教の信者の中に入っている。ということらしい。

 このユダヤ教が今のようなヤーヴェ一人を信仰する形になったのは、紀元前13世紀、今から三千三百年ほど前であるという。この時、モーセという指導者に率いられ、奴隷となっていた集団がエジプトから脱出する。いわゆる「出エジプト」であり映画『十戒』の物語である。この集団はその後何十年かは今のパレスチナからシリアのあたりを放浪したのち「カナンの地」つまり、今のエルサレムに定住し、ここに「ユダヤ人」あるいは「イスラエルの民」が生まれた。

 奴隷であった集団がある国を脱出して別のところに定住するというのは極めて珍しいことだが、これを成し遂げたことにより、指導者モーセの信仰するヤーヴェが「特別な神」として信仰されることになる。このヤーヴェ信仰が一神教になることとユダヤ人=「イスラエルの民」の歴史的歩みの関係はとても興味深いのだが、全ての紹介することはできないので、興味を惹かれた方は前記の本を読んでほしいのだが、ともあれ、ここでのポイントは

⑴ユダヤ人も元々は多神教であり、「出エジプト」の後もその他の神(バール神、アスタルテ神などが有力だったらしい)も信仰されたいた。

⑵そのヤーヴェ信仰は、古ユダヤ王国(ダビデ、ソロモン王の時代)の成立と崩壊→アッシリアによるユダヤ人大多数のバビロニアへの強制移住(いわゆるバビロン捕囚)→アッシリアの崩壊に基づくカナンへの帰還を経て、いよいよ強固なものとなり、「一神教」としてパレスチナに住むユダヤ人の宗教となった。そこにイエスが生まれた。

ということである。

 つまり、ヤーヴェ信仰の元々の「かたち」は他の古代民族宗教と変わらなかった。数ある神の中で最も有力な神の一つにすぎなかった。だが、それがユダヤ人の辿った数奇な歴史の中で「ヤーヴェ信仰」によって「ユダヤ人」という共同体意識が保たれるという事実が生じ、「一神教」は誕生したのである。

 イエスの登場とその活動は、この「ヤーヴェ一神崇拝」のユダヤ教内部における一種の「宗教改革運動」である。だが、マタイ伝第5章から七章などで紹介されている、いわゆる「山上の垂訓」はあたかもモーセがヤーヴェより「十戒」を受けた時のようである。そのために、結語となった「悔い改めよ 天国は近い」という言葉は、イスラエルの民にとっては、再びモーセの奇跡やダビデ王ーソロモン王の栄華を賦活させる救世主=メシアの登場を思わせた。同時に、イエスは自らを「ユダヤの◯◯」と自称することはなく、またその「教え」について常に「人」という一般名詞を使っていた。

 これによって、イエスは一方でユダヤ人の伝統的なヤーヴェ一神教崇拝を引き継ぎながらも、ユダヤ人の民族宗教にとどまらない「全人類のための救世主」という体裁をも持った新しい宗教の始祖として捉えられるようになる。いわゆるグノーシス主義者が目にすることになる「キリスト教」とは、このようなプロセスが経て作り出された後のものである。

 ほとんどのグノーシス主義者にとり、ユダヤーキリスト教を育んだ文化は「異邦人」の産物であり、自分達はあくまでも「異教徒」である。マーニー・ハイイェーだけは「エルカサイ教団」という独自の立場を持つユダヤーキリスト教集団に参加していた父親を持つ。いわば「宗教二世」であるが、その教団の外はゾロアスター教を信仰する社会であった。

 このような「異教徒」「異文化」の中で育った人々にとって、「聖書ストーリー」に初めて触れた時にはおそらく僕と同じような感想ーー「不完全な旧約の神」「魅力的なイエス=救世主」ーーを持ったはずだと思う。

 何しろ、いわゆる「新約聖書」の中で描かれているイエスは本当に「神々しい」ーー「神の子」なんだから当たり前だがーーまでに決然としており、何よりも「迷い」とか「疑い」というものがない。先に触れた「山上の垂訓」もそうだし、「最後の晩餐」からローマの提督の元に引き出され、磔刑を申し渡されるまでのイエスの姿の描写は、もともとイエスを神格化せんがために使徒たちが脚色したものであると思ってはいても、やはり人の心を動かすものがある。それは嫉妬深く、自分の被造物の人間を信用しておらず、絶えずためさずにはいられない「ヤーヴェの不完全性」とは程遠い。

 故にマルキオンやマーニーは『旧約』を否定し『新約』のみを認める。グノーシス主義者にとって都合のいいことに、イエスは自らに啓示を与えた「神」について語らない。語らないのは当然で、当時のイスラエルの民としては「神」といえばヤーヴェ以外ないからである。しかも、僕らは今だからこそこのイスラエルの「神」を「ヤーヴェ」とか「エホバ」とか呼んでいるけれど、この読み方は実は「正式」ではない。この「神」をなんと呼ぶかを人は知らないことになっている。

 が、ともあれそういう「ユダヤの伝統」を触れることもなく、仮に知っていたとしても、そこに肩入れする必要のないグノーシス主義者にしてみれば、「全人類を救済するために自ら犠牲となったイエス=救世主ーキリスト」という「ストーリー」だけが重要である。「この世を創造した神」と「イエスに啓示を与えた神」を別にするという発想が、ここから生まれる。マルキオンはバッサリと「別の神でいいんじゃない」と思い、マーニーは「神ではなく悪魔が作ったことにすれば良い」と思う。その間においてプトレマイオスは「ユダヤ的状況とイエスは無関係ではないのだから、低位の神が世界を作り、至高の神が人間を救うことにした方が良い」と思う。

 では、そうまでしてグノーシス主義者が「イエスという存在」を受け入れたのはなぜなのか。僕はそれまでそんな宗教はなかったし、そんな人物もいなかったからだと思う。

 古代における宗教ーーそれはほとんどが多神教だがーーは、基本的には「御利益宗教」で、神を崇めることにより現世におけるなんらかの利益をもたらしてもらう(あるいは災いを防いでもらう)ためのものだ。その場合、神を祀るのはそのことで利益を受けたと思っている人=すなわち「成功者」である。それぞれの古代共同体で「成功者」が「成功」をもたらしてくれた神を信仰している。当然最も偉大な神は「支配者」たる「王」とか「皇帝」などが信奉する神であり、多くの場合「支配者」は「神」かその化身、その「子」である。

 逆に言うと、「失敗した者たち」「敗北した者たち」のための「神」はいない。通常ある「神」を信仰していた集団が現世で失敗したり敗北したりすると「神」への信仰は失われる。そんな神は「厄病神」の烙印を押されてしまう。ユダヤ人はエジプトからメソポタミアまでの地域を放浪し、独自の国家、独自の王を持ったこともあったが、そのほとんどの歴史(今もなおその歴史は続いている)でいろいろな国の支配のもとに苦しむいわば「敗者」である。しかし彼らは「敗者」でありながら、逆にヤーヴェという「一人の神」を信仰することで自分たちのアイディンティティを守り、独自の共同性を保ってきた。

 そのロジックは、自分たちがこんなに苦労するのは「偉大なる神」に背くという「罪」を冒したから、ということだ。「罪」を冒したが故に神は自分たちを助けなくなった。だから、自分たちは二度と神に背かないということを神に示さなければならない、そのためには戒律を守り、戒律に沿った生活をすることだ、となっている。

 イエスはこれに対して、そのような「戒律」を墨守させようとするユダヤ人の中の「支配層」に対して、いやすでに「罪は許された」「神を罪を許して人を救うことを決めた」と言い出したのである。この「罪は許された」「神を人を救おうとしている」というのが「福音」であり、それを伝えることが「伝道」である。

 従って、イエスの側から言えば、ユダヤのヤーヴェ信仰と自分の言っていることには関連もあるし整合性もある。ヤーヴェ信仰はなくてはならぬ前提だ。同時に、そのヤーヴェ信仰をいわば「利用」して、人を「罪」で縛って自分たちの支配性を確保しようとするユダヤの神官たちなど「ユダヤの支配層」は「敵」となる。こうしてイエスは「他国に支配されたユダヤ」の中でもさらに「抑圧された者」「排除されたもの」たちの「救世主」となる。

 だからイエスは「同胞」であるユダヤの神官などによって訴えられ処刑される。実際に処刑したのは当時のユダヤの支配者であるローマ帝国の提督である。提督ピラトはあまり処刑にしたくはなかったが、ユダヤ神官たちの再三の要求で処刑は決まる。

 こうして、イエスは処刑されるのであるが、ここで、再び「ユダヤ的な伝統」ともいうべき「敗北者」の「神への信仰」を無効にしないための宗教的想像力が働く。イエスは「神は全ての人々の罪を許して救うことを決めた」のに、「人」はそれを聞かずにイエスを処刑するという「罪」をさらに冒した。しかし、イエスは処刑ののち、一旦「復活」し、その後さらに「昇天」し、神の横にいて安らいでいることになった。そのことによって神はイエスを処刑したという「罪」そのものをも許したことになった。そればかりか、イエスの「受難」「復活」「昇天」というプロセスは、「全ての人間を許し、救う」という「神からの福音」の「モデルケース」となったのである。

 このようなイエスによる信仰は、それまで「支配者」「勝者」「成功者」のためにあった御利益宗教ではないもの、「被支配者」「敗者」「一般人」に救いをもたらすものなった。一言で言えば中東からギリシア、オリエントへとつながる地域から「民衆のための宗教」がここに生まれたのである。

 グノーシス主義がイエスのその「聖書ストーリー」に魅了された理由はおそらくここにある。なぜなら、この「イエスのストーリー」は様々な地域ー国家内において虐げられたり、非主流に置かれたりするために、その社会をなんとかして変えたいと思うもの、いわば「反体制」にならざるをえないものにとっても「福音」だからである。

 イエスが唱える「神」は他の「御利益宗教の神」と違い、なんらかの「貢物」を必要としない。強いて言えばそれはイエスの「受難」によって果たされている。必要なのはその「神」の福音を「信じる」ことだけだ。

 その「神」のみを信じ、それ以外の神への信仰よりも優先することは、当然、既存の宗教的権威を背景にした社会構造への反逆を伴う。しかし、同時にそれはイエスがそうであったように、もともと社会の中で疎外されてきた民衆を味方につけることができる。何しろ「信ずるものは救われる」のである。たくさんの神にたくさんの貢物を上げる必要はない。そのための労働に駆り出される必要もない。神官のいうことに従うこともない。それは古代の民衆にとって極めて大きな「実利」と「自由」をもたらしただろう。

 グノーシス主義が古代ギリシアーオリエント世界を最初に席巻したのは1世紀後半から2世紀前半だという。そのころの非ユダヤ的文化圏においてキリスト教は、そのような「全く新しいタイプの反体制思想=宗教」だったと思われる。そのため、グノーシス主義者たちは、そのイエスの唱える宗教を自分たちなりに咀嚼し、割に合わないところはこの「イエスという存在と神の救済の約束」を美化するために切り捨て、自分たちにとって価値であることを針小棒大化した。それがあの、壮大かつ荒唐無稽な神話の数々であろうかと思われる。