「マッサン」のことである。
これからどうなっていくのかは分からないが、第一週と第二週はもうそういうしかない展開である。
といっても、関東圏でしか生活したことのない人にはちょっとわからないかもしれないが、まさにこれは「関西ならでは」のドラマなのである。きっと視聴率高いだろうな、関西では。
なにがそんなに「関西的」なのか? それはずばり
「嫁いびり」である。
思わず大文字にしてしまった。そう、イギリスから主人公マッサンが連れてきた金髪碧眼のスコッティシュ美人=エリーさんをいびるこの展開。まさにそれが「関西」なのだ。
先週は姑=泉ピン子、これで終わるかと思えば今週は「小姑」登場!(本当は「元許嫁」だから小姑じゃないけど、まあ、似たような存在だということで)
しかもエリーさんがみんなに少しでも受け入れてもらおうと一所懸命作ったスコットランドの家庭料理に、なんとなんとしこたま「塩」をいれてしまうという実に古典的な「嫁いびり」。あまりにわかりやすいいじめにすぐ気が付き、娘を責めるお父さん、それをかばうお母さん、「なんでうちがせめられなあかんの?!」と逆切れする優子さん、それでも筋を通すお父さん。
自分がいるから騒動が起きてしまうことをけなげに謝るエリーさん、でもやっぱり辛いから泣きながら外へ飛び出すエリーさん、それを追うマッサン、「もうええで、スコットランドに帰るなら、わしもいっしょに行くから」とエリ―を気遣って声をかけるマッサンに「ダメ、ゼッタイ、ダメ!」と泣きながら叱咤するエリーさん、「マッサンは夢をあきらめてはダメ、わたしは大丈夫」とけなげに応えるエリーさんの真心に打たれ、きつく抱き合う二人……、強い絆を確かめ合った橋の上の夜……。
ああ、なんてわかりやすい! なんてベタで、なんてお定まりの展開なんでしょう! でも、わかってしまう。これが関西なのだ、これが浪花の「義理と人情」「ど根性物語」なのだ。僕らが小さいころから、つまりもうまるまる半世紀は確実にテレビの上で繰り返し繰り返し演じられてきた定番のお芝居。花登筐原作のドラマの数々。松竹新喜劇。それそのものである。
関東圏の人で六〇歳前後のひとなら「細うで繁盛記」というドラマを覚えているかもしれないが、あの原作が花登さんである。あのドラマはたまたま舞台が伊豆だったので関東でも放映されたが、花登さんのドラマの舞台はほとんどが関西、それも大阪の商人の街と相場が決まっている。その名も「船場」「堂島」というドラマがあるくらいで、ともかく商人の家に関わる人情ドラマが多い。そして、その中で「嫁いびり」「婿いびり」はもうなくてはならないアイテムなのである。例の通称「渡鬼」というドラマの「いじめ」は、こうした「関西系ドラマ」を手本にしたものであり、オリジナルはこちらである。ともかく、昔から関西ではこういうドラマが作られてきた。もちろん、結末は最初からわかっている。いびられ続ける「嫁」や「婿」や決して不平を言わない。あくまで正攻法で姑・小姑に尽くそうとし、その誠実さと「愛の力」で相手に自分を認めさせるのである。
二一世紀の今、まさかこの「定番芝居」が復活するとは思わなかったが、このドラマを見ていると「なるほどその手があったのか」という感じである。いくら昔の話でも「嫁」が日本人である限り、手あかが付きすぎている。しかし、それが「外人」だったら? ということなんだろう。史実からすると本物のエリーさん、つまり川鶴さんの奥さんである「リタさん」は実家でこそ疎んじられたが、マッサンの務めていた摂津酒造では歓迎されたらしい。つまり、「許嫁」の存在とかそのひとの「いびり」などは純粋に創作なのである。
その創作部分が、まさに「関西」なのである。だからこれはもう、「関西人の関西人による関西人のためのドラマ」としか言いようがない。