近くの書店に行って見つけて面白そうなので読んでみた。著者は『負け犬の遠吠え』というエッセイ集を出した方。ご自身も大変なユーミンファンのようである。
確かにこの本、相当なファンでないと書けないと思う。もともとは「文学としてのユーミン」という題名で雑誌に連載されていたものだという。デビューした1973年から1991年までのほぼ20年間のユーミンの唄を、一年ごとに評論していくというのはなかなかの仕事量である。相当な執着と思い入れなしにはできないと思う。事実、僕は半分ぐらいで挫折しそうになった。というのも85年ぐらいからのユーミンの唄にあまり個人的な記憶がないからである。
「ユーミンと歩んだ時代」という虚構
その飽きっぽさを振り払ってとりあえず最後まで読んでみて思うのは、やっぱり、ユーミンだけで新書一冊というのはいささか辛い。少なくとも一年一年ユーミンのアルバムを振り返り、そこでの世界観の変化を論ずるだけ、という本に付き合えるのはかなりコアなファンだけなのではないか、ということである。
出版社の方としては昨年にユーミンがデビュー40周年を迎え、ベスト盤も出したこと、そして今年の秋には久しぶりのニューアルバムも出る、ということでこんな「拡大されたライナーノーツ」みたいなものもいいかな、と思ったのであろう。しかし、こういう「編年体の本」というのは僕のように少し距離を置いた「ファン」にとってはいささか重たい。これはいわば、(ベスト盤になぞらえていえば)「私の人生とユーミンと」というようなノリで、「ユーミンの唄を聞いてきた自分」を振り返るための本であり、また、そんな感じで人生を振り返りうる人のためのものである。残念ながらそこまでユーミンと「蜜月」ではないぼくのような人にはあまり「響かない」。
また、この本は「文学としてのユーミン」という原題をもっているが、内容的には一九七三年から九一年まで、それぞれの時代状況がどのようにユーミンの唄に盛り込まれているか、あるいはファンがどのような「その時代の物語」をそこから受け取ったかを分析の対象にしている。その意味ではこれは、「作品としてのユーミンの唄」論というよりも、ユーミンの唄に象徴される日本の「七〇~八〇年代」論、もっといえば、その時代に青春を送ってきた現在は40代半ばを過ぎた女性たちの「世代論」である。
しかし、内田樹氏の言葉ではないが、「世代」というのは一種の集団的な「記憶の偽造」にもとづく共同体意識であり、非常に間主観的に作り上げられた「幻想の共同性」である。従って、「世代論」に意味があるのは、その世代がそうした「偽造記憶」をもっているという事実の方なのであって、その「記憶」の中味ではない。つまり、「ユーミンを聞いて育った青春」といういい方そのものが、そこですでにある種の「うそ」や「言いすぎ」をはらんでいる。そのことを前提にすると、その「ユーミンの唄に反映されている時代」や「時代の意識」というのはそんなにあてになるものではない。
もしかりに、このように「うた」を「文学」として、その中に時代のキーワードを読み解こうとするなら、少なくともそれは「うた」というジャンルの中での「ユーミン」のポジションを、その他の「作品」との関係で位置づけるという作業が必要だろう。なぜなら、このような比較対象をすれば、作者であるユーミンの意図や目論見を(それが作者本人の意図とは一致しないとしても)、あるいはまた、「聴き手」がどんなふうにしてユーミンを読みとったかも、もうすこし正確さを増すのではないか。
「正解」が存在しない「芸術評論」を「論じる」というのはそんな形でしかできないのであるが、この本ではそれがはしょられている。だから、形式的にはどんなに「世の女性たちのとらえたユーミン像」という形を取ろうとも、この本で書かれているのはあくまでも著者である「酒井順子にとってのユーミン」でしかなく、その枠の狭さが人を飽きさせるのである、と思う。
明治初期の日本文学、「近代文学の始まり」を論じるときにはたとえば夏目漱石と森鴎外はかかせないだろう。この両者は社会的立場も考えかたも大きく違う。だから、その違いを比較する中で、われわれは「明治人」の考えていることを立体的に知ることができる。おおげさにいえば、そんな方法が「ユーミン論」を「文学論」として考える以上とられるべきだった、ということである。
「ワールドワイド」な存在感と完成度――五輪真弓
では、具体的にどんな比較検討が可能か。ずばりいって、ほぼ同時期にデビューした二人の女性シンガーソングライターを僕はあげる。その二人とは五輪真弓と中島みゆきである。
この中では五輪真弓が最年長で一九五一年生まれ、ついで中島みゆきが五輪の一つ下。ユーミンは一九五四年生まれだから、最も若い。デビューは五輪がユーミンと同じ一九七二年、中島みゆきは七五年とややひらきがあるが、70年代から今日までの存在感という意味で、中島みゆきこそユーミンの最大の「仮想敵」であり、五輪は「憧れても届かない偉大な先輩」として存在した。すくなくともそうした立ち位置を仮に置いてみると色々見えてくるものがある、と僕は思っている。
ユーミンと五輪はデビューが同い年ではあったが、その時点での知名度・注目度では圧倒的に五輪真弓の方が上だった。それは五輪のデビューアルバム「少女」の制作過程をみてもわかる。このアルバムは新人アーティストのデビュー作であるにもかかわらず、ロスアンゼルスで制作されている。それだけではない。前年にアルバム「つづれおり」の発表によって、「ニューフォークの女神」と称されたキャロルキングをレコーディングに迎え、彼女のレコーディングスタッフを多く起用している。
四〇年前、未だ1ドル=360円の時代である。なんの実績もない、シングル一つ出していない二一歳の新人、しかも当時のレコード会社的分類では「フォーク歌手」にこれほどの待遇を与えるのは異例も異例である。だが、当時も今もこのデビューアルバムを聞くと、そんな「異例の待遇」も納得できるものがある。
五輪真弓という人はデビュー当時から「完成されたアーティスト」であった。シンガーソングライターとしてデビューした彼女は、まず、歌手として完成されていた。女性としてはやや低めの声質だが伸びやかで美しい唄声は「新しいフォークソングのミューズ」にふさわしく、歌唱力も抜群である。デビューアルバムでキャロルキングと共演したことから「和製キャロルキング」と呼ばれたが、はっきりいって歌手としての魅力は五輪の方が上である。(個人的にはあまり日本ではメジャーにならなかったジュディコリンズという歌手の方が五輪に似ていると思う)
歌手としての存在感だけではなく、「唄」の完成度も非常に高い。デビューアルバム「少女」の一曲目に入っている「なわとび」は、「なわとび」に託して「人生」を唄ったものだが(ああ、陳腐なまとめだこと)サビ前からの歌詞はこんなふうである。
はじめは私が鬼になります。
足をかけることはこわいけれど
跳ぶとき一部始終を大事にすれは あとは休めるんです。
誰でも一度はつまずきます。油断したり焦ったりして
でもそんな時もあなたには やることがあります。
他の人のために 縄を回して誰かが飛ぶのを じっと見つめること
「ユーミンの罪」で酒井氏はユーミンがデビューアルバムの一曲目に「ひこうき雲」をもってきたことを取り上げ、「一九歳という、『生き盛り』の年頃の女の子」がデビュー作のテーマとして「『死』を選んだこと」を「(世の中の人にとって)印象的だったでしょう」と紹介している。確かにそういう感想をもった人も多いだろう。しかし、僕は、「ひこうき雲」は一九歳という年齢だからこそかけたものではないかと思う。
僕にも心当たりがあるのだが、そのくらいの年齢の少年少女にとり「死」は、とくに自ら命を絶つ「自殺」という行為は、ある種の「甘美な誘惑」と「憧れ」に満ちている。「自ら死んでしまった同級生」というものは、必要以上に美化され、聖化されることもまたそこにはありがちだ。酒井氏は「ひこうき雲」で語られる「死」が「軽い」こと、「おしゃれ」と言わんばかりに軽やかであると評しているが、それはたぶん時代のせいではない。むしろ、ユーミンが「一九歳」という「お年頃」であったことにこそある。その年齢の少女が「等身大」に「死」を受け止めようとした結果が、この詞のもつ「軽やかさ」であり「甘美さ」なのではないだろうか。
これに対して、この「なわとび」はかなり違う印象を受ける。「なわとび」の歌詞の特徴は、「年齢を超越している」ことである。「なわとび」はもちろん「少女」を意味するメタファーである。しかし、その一見少女らしい「なわとび」の情景を通して語られていることに「年齢制限」はない。どんな年齢のどんな環境に置かれた人でも(男でも女でも)通用する、「人生の奥義」みたいなものがさらっと書かれているのである。
これを「生意気だ」とか「二十歳そこそこの娘が偉そうに」となじることは可能である。(実際、そんなことをいったラジオのパーソナリティもいた)だが、それは、こんなメタファーの使い方をする「うた」をデビュー作で世に出せるという、当の「小娘」の力を逆に証明するようなものである。
このサビの後には「もしそのまま鬼にならず逃げ出したなら 二度とこの遊びに参加できません」と続く。その中味ももちろんながら、全体を通して非常に日常的な言葉とセンテンスが用いられながらメロディーが美しく出来上がっていること、とくに「参加」という熟語の響きの新しさなど、「新しい時代」を感じさせる要素が詰まっている。それでいて完成されているのである。
同じアルバムから先行してシングルカットされた「少女」のテーマは「大人」への自覚である。「暖かな日のあたる真冬の縁側に」坐る「少女」は、窓越しに見える「年老いていく子犬」や「溶けていく雪」、「夢が音を立てて崩れていく」さまを目の当たりにしつつも「木枯らしの吹く垣根のむこう」に、もう自分は行かなければならないと決心する。いつまでも「子供」のままではいられない、「老い」と「死」は確実にやってくる、「夢」はいつか色あせる、しかし、だからこそ自分はその「むこう」にいかなければならない、なぜなら、そうした挫折と絶望を眼前にしてもなお「縁側から腰を上げる」ことが「大人になる」ということだからだ。
これは確かに「少女」という「年齢制限」がある。しかし、性別は問わないし、厳密に言えば「年齢」も本当は関係ない。自分がすでに「大人」になった人もまた、この歌のような時を経てそうなったのである。「少女」はそんな自分のかつての姿を思い起こさせる、という意味で年齢を超える。そういう意味でも、この唄のもっている「普遍性の高さ」は相当なものである。
この完成度ゆえに、所属会社であるCBSソニーは「LA録音」「キャロルキングとの共演」という異例の処遇をもってデビューさせようとしたのであろう。いわば五輪真弓はスポーツでいえば、ゴルフの石川遼君や宮里藍さん、高校生にしていきなり世界選手権で優勝した体操の白井健二君のように、「デビューした時にはワールドワイド」な能力をすでに完成させていたのである。「脱亜入欧」ならぬ「脱日入米」(語呂がいいので、「だっぴにゅうべい」と読んでほしい。)とでも言おうか、最初から「選ばれた特別な存在」として五輪は「日本」の枠を超えていたのである。
その後も五輪の快進撃は続く。アルバムの海外録音は続き、フォークのみならず当時はジャズ&フュージョン界の新進気鋭ギタリストとして人気上昇中のラリーカールトンをレコーディングゲストに迎えたり、深町純、村岡健、大村憲二、石川鷹彦などジャズからフォーク界までの一流どころに、当時は新進気鋭のドラマーだった村上(ポンタ)秀一を従えたライブアルバムをリリースするなど、今日でもめったにありえないジャンルを超越した活動をしていた。(個人的にいうと、当時の五輪真弓の立ち位置に近い最近の歌手はMISIAであると思う)
このようなクオリティの高い五輪の活動は一時期「玄人向け」となり、数年後にはデビュー時のような「ヒット」から遠ざかった。しかし、今度はアメリカではなくフランスからのオファーがあり、アダモとオランピア劇場でのコンサートをすると、これが大盛況。現地では「ゴーギャンの絵から出てきた女性」と絶賛される。その勢いで七八年からは曲想を「シャンソン調」に「転向」、二年後には名曲「恋人よ」で今日まで続く「国民的歌手」としても不動の地位を勝ち取っている。その後五輪の人気はアジアにも拡大し、そのワールドワイドな存在感は全く衰えていない。シンガーソングライターという形でデビューした人で、途中でデビュー当時からの「路線」を「変更」して、その後も大ヒットを飛ばしたという人はほとんどいない。ましてや、アメリカとヨーロッパとアジアという三つの音楽市場で成功した人となると、ポピュラー音楽の世界では数えるほどである。
「ドメスティック」に徹する中島みゆき
このように、デビュー当初から「世界」を見つめ、「世界標準」を当然のように自分に課していた五輪に対して、三年遅れてデビューした中島みゆきはいわば、「徹底して日本=ドメスティックにこだわった人」ということが言えると思う。
「中島みゆきの唄」といって多くの人が思い浮かべるのは二つのパターンである。ひとつは初期の「化粧」や「わかれうた」「悪女」などに代表される「女の情念」をたっぷり伝えるような「恨み節」ともいえる唄。もう一つは「時代」「ファイト」「地上の星」のようなメッセージ性の強い、「七〇年代フォークソング」の系譜をふむような唄。
これらは日本の「唄文化」の中で位置づけると、前者は「演歌」が得意としていた分野であり、後者は「唱歌」が占めていたポジションであるといえる。前者についてはたぶんあまり異論はないだろうが、後者については多少「?」と思う人も多いだろう。あのメッセージ性の強い歌がなぜ「音楽の教科書」に載るような「唱歌」に類推されるのか、と。
中島みゆきの唄には、六〇年代後半の学生運動の「空気」を感じさせるものもいくつかある。「三年B組金八先生」で挿入されて話題になった「世情」には「シュプレヒコールの波通り過ぎていく 変らない夢を流れに求めて 時の流れをとめて変らない夢をみたがるものたちと闘うため」という部分があり、これは往年の「政治の時代」の「デモ風景」を思い出させる。しかし、これら中島みゆきのメッセージソングには「社会批判」という要素が実は非常に希薄である。
その多くは自分の外側になんらかの「敵」があったり、告発すべき「問題」を暴くという唄ではない。「告発」され、反省されるべきは常に「自分」であり、「われわれひとりひとり」である。「闘う君のことを闘わない奴らがわらうだろう 冷たい水の中をふるえながら上っていけ」と唄う『ファイト!』でも、「私の敵は私」であり、「ファイト!」と中島みゆきが呼びかけるのは多くの人が「闘わない」のに「君」ひとりが「闘う」からである。中島みゆきが許せないのは、(さしあたり、歌詞として読める範囲ではという限定付きだが)「君」が闘っている「相手」ではなく、「君の闘い」を「笑うひとたち」なのだ。
そのため、中島みゆきのメッセージソングは歌詞の字面だけを追う限り、いくらでも「道徳的教材」として陳腐化できるような抽象度をあらかじめ与えられている。かなりきわどいところまで行っても、その唄は「頑張って生きて行こう、くじけないで世のため人のための仕事をしよう」と人を励ます「応援歌」としての限界を、「自分で自分に負けないでいよう」という「自己修養」最優先であることを超えてはいない。
ともあれ、中島みゆきのメッセージソングは音楽的にも非常に端正なメロディーをもち、和声進行も実に「基本通り」というか「手堅い」ものが多く、宗教音楽のように「ドラマティック」である。そうした「様式美」を備えているという点でも、明治以来、人々の「啓蒙」のためにつくられた「唱歌」の継承だと僕は思うのである。
そしてまた、中島みゆきのもう一つの面、「女の情念」に関する唄も間違いなく「演歌」の系譜に属しているのだが、そこにはひとつの「構造的継承」ともいうべきものがあることを見落とすべきではない。
それは、中島みゆきのこの種の唄に登場する女性はほとんど「道ならぬ恋」をしていることである。すなわち、「愛人」であったり「不倫」だったり、あるいは「女」を「商売の道具」にする=水商売の女性たちが、彼女の唄の主な主人公なのである。
たとえばデビュー作である「アザミ嬢のララバイ」での「アザミ嬢」は「夜の仕事」をする女性である(「春は菜の花、秋には桔梗、そうしてあたしはいつも夜咲くアザミ」)。
いわゆる「プロ」の女性ではなくても、中島みゆきの「恨み節」の女性たちは自分がある男性を愛している(いた)ことを公にはできない。二作目のアルバムである「愛していると云ってくれ」の冒頭には「元気ですか」という「曲」が入っている。「曲」に「」をつけたのは、「元気ですか」にはメロディーがなく、本人による「朗読」だけで構成されているからだが、それがまた「鬼気迫る」というべき雰囲気を醸し出している。
この作品で「わたし」は「あの人」に電話で話をしている。最初はそれが「彼」なのかと思うとそうではない。「あの人」とは「私」が愛している「あいつ」の「今」の(あるいは「本来の」)「恋人」(ないし「妻」)である。「私」は「あの人」に「わかっているのに」「しあわせか」と尋ねる、そうすると「あのひと」は「しあわせだ」とこたえる。「あの人」は「私」が「あいつ」の彼女であったこと(もしかしたらいまもそうであること)を知らない(と「私」は思っている)。知らないから、「あの人」はなんの屈託もなく「私」に今の自分の幸せぶりを伝える、それを聞いている「私」は「本当は今そこにいる『あいつ』を電話に出してといいたいのよ」と思っているにもかかわらず、結局そうはしない。そうはしないで、このうすら寒い、(身に覚えのある)男性なら背筋がゾッとするような会話を続ける。
1977年に発表された「朝焼け」では「眠れない夜が明けるころ心も荒んで もうあの人など不幸せになれとおもう」と「恨み事」を並べる。「あの人は今ごろは例の人と二人」とあるように、ここでも主人公の「恋人」は「例の人」つまり、誰もが知っているような「公認のパートナー」と一緒にいて、自分だけが一人取り残されているのである。つまり、まとめて言うと、中島みゆきの唄に登場する女性はほとんど常に以下のような非常に特殊な状況の中にある。それは「愛している男性には他に好きな女性がおり、自分より彼女のほうが(妻であり、公認の彼女であったりするので)立場として強い」さらには「自分がある男性を心から愛しているということを、決して公にはできない」ことである。それを先人は一言で「道ならぬ恋」とまとめた。要するに中島みゆきの唄は「不倫の唄」なのだ。
そして、この「道ならぬ恋」に身を焼く中島みゆきの唄の主人公たちは「彼」が自分ではない「あの人」のところに「帰っていくこと」を止められない。自分のところに「また」来てくれることを待つばかりである。また「彼」が来てくれるための最低条件が、「黙っていること」=自分の存在を「あの人」に知られないことだ。中島みゆきの唄の女性たちは決して自分が「あの人」にとってかわろうとはしない、そういう自己主張を諦め、あくまでも「彼」を待ち続ける。そういう意味では空恐ろしいほど「けなげ」である。
たとえば、ピンクレディーを解散した後の増田恵子さんのために書いた「すずめ」という唄の歌詞は「別れの話は陽のあたる テラスで紅茶を飲みながら」などという、らしからぬ「おしゃれ」な描写から始まる。が、すぐに「別れの話をするときは 雨降る夜更けに呼ばないで あなたと私の一生が終わるように響くから」と「恨み」が頭をもたげ出す。この唄の主人公が愛した男性というのは「単身赴任」で彼女の近くに来たのでもあるかのようで、今まさに「別れ」が近付いている。「時計の中に誰かがいる」ように時間を気にする「あなた」はもう「旅立つしたく」をしている。それはもう彼女のところには戻ることのない「旅立ち」だが、主人公はそう思いたくない。だから「今なら汽車に間に合うかしら クルマを探してくるわ」とまるで「朝のご出勤を見送る妻」のように「はしゃいでいる」のである。そんな自分はまるで「すずめ」のようだ、というのがこの唄の中味である。
日本の男性はこの手の女性にめっぽう弱い。ともかく、同姓の私があきれるほどに弱い。しかも、日本の男性(の多く)はこの「道ならぬ恋」に身を焦がすことこそ、「真実の愛」「純愛」だと信じてやまない。『舞姫』しかり『女系図』しかり、「悲しい酒」「雨の慕情」「北の宿」「時の流れに身をまかせ」など、戦後日本を代表する演歌にも「道ならぬ恋」の結末を題材にしたものは事欠かない。
どうしてかくも日本の男性は「道ならぬ恋」に弱いのか、それを語り出したらそれはそれで一つの物語になると僕は思うのだが、ともあれ、中島みゆきが日本の「演歌」の系譜を引いているというのはこういうシチュエーションを繰り返しているところにこそある。それは表面的な「現代性」の裏に隠された「構造的な継承性」なのである。
「優良な日本ブランド」としてのユーミン
登場した時から「ワールドワイド」な五輪真弓、最後まで「ドメスティック」であることを信条とする中島みゆき、ユーミンの立ち位置はこの中間点からやや「五輪寄り」にある。五輪のような存在は憧れである。しかし、簡単になれるような存在ではないし、「居心地」という点でも決していいとは限らない。なぜならそれは、「選ばれた人」=エリートの道であるが、少数派の道である。憧れる分にはいいが本当に目指すとなるといばらの道である。といって、中島みゆきのように日本の「伝統」の足場の中に両足つかっているのも気が進まない。もう少し「アメリカナイズ」された立ち位置はないものか、ユーミンの選択はそんな戦後の日本人の心理を良くつかんだものである。
目指すべき目標として「アメリカ」を常に念頭に置きつつ、あくまでも「日本」を地盤にして「日本の中での新しいポジション」を獲得する。これは、高度成長期に成功した日本企業の取った戦略である。ユーミンの立ち位置はそれと同じである、その意味では最も「賢い」選択をしたといいうるだろう。
デビュー当時のユーミンの曲づくり、とくにそのアレンジは明確に「アメリカンポップ」の模倣である。実質的なデビューシングルと言える「ルージュの伝言」では伴奏のピアノがそうであるし、「ひこうき雲」ではユーミンがこの曲を作るきっかけになったというプロコルハルムの『青い影』で用いられたオルガンによるオブリガードが一節だけではあるがそのまま使われている。
当時、ユーミンのバックを務めたミュージシャンには細野晴臣、山下達郎など、のちのJPOP界を背負って立つような逸材が顔を連ねているが、彼らは自分たちが「お手本」にしていたアメリカンポップのアレンジやサウンド作りをそのままユーミンの曲作りに持ち込んだ。それができたのは、ユーミンの歌にある「模倣の感覚」――アメリカナイズされたもの、欧米的な生活感覚の導入が日本企業の「ものづくり」にも匹敵するほど正確であったからである。その正確さ、「模倣」ではあるが「完成度のほんものさ」をミュージシャンたちは正確に読み取ったのであった。
ユーミンの魅力を語るときにいろんなことが言われる。『ユーミンの罪』で酒井氏はそれを「ゲーム感覚」「恋愛のレジャー化」「除湿効果」などと表現する。生活感が希薄で、ドロドロした「情念」とも無縁、オシャレと遊びこそ人生であり恋愛もそうした「レジャー」のひとつなの、というような「雰囲気」が「ユーミンというもの」を語るときのあるいは「ユーミンとそのファン」を眺める場合の基本的態度である。たとえば五輪ファン、みゆきファンという、ユーミンファンの「天敵」たちはそんな風に思っていたに違いない。
しかし、ユーミンの唄は「アンチユーミン」の人々が思うほど「軽く」もなければ「甘く」もない。むしろ、そんな風に油断をして近づくと思わぬ反撃を食らう。それは、ユーミンが翻訳しようとした「欧米的生活感覚」がかなり正確であり、それは少なくとも、中島みゆきの「恨み節」に涙する男性ファンより、遥かに複雑でしたたかであったことのあかしである。
では、このような「優良ブランド」としてのユーミンの唄の特徴はどこにあるのか、なにをユーミンは欧米から学び得たのか。それをひとことでいうなら「『かっこいい』ということの価値」である、と僕は思う。
「かっこい」という言葉にあてはまる英語、とくにアメリカでのそれは時代とともに変化する。今でいうならそれは「COOL」である。アメリカの文化、とくにニューヨークあたりを震源地とする文化を語るときにこうした「決まり文句」は外せない。男も女も認められようとおもったら「COOL」でなければならない。何が「COOL」であり、そうでないかを含め、それがわかり、実践できる人間だけがかの都市で認められるのである。
ファッションを含めたセンスの良さ、ある程度知的であり同時にある程度肉感的でもあること、必要に応じて感情をコントロールできること、対人関係において必要以上に他人に深入りしたり依存したりしないこと、「COOL」とか「かっこいい」ということの意味は多岐であいまいである。だが、こうした感覚を身につけることが「都会で生きる」若者にとって非常に大きな価値をもっていることは古今東西共通であった。ユーミンはそれを誰よりもうまく「輸入」し、なおかつそれを「女の世界」に持ち込んだ、という点で傑出した存在なのだと僕は思う。
ユーミンは言われる通り「レジャー」や「ドライブ」や「スポーツ」を唄の中で何度も登場させた。また、都会生活の断片を切り取って作品にした。そのどれもが多くの人たちにとって「憧れの都会生活」に思えたのだが、それもそもそも「かっこいいとはどういうことか」を伝えるためだったと思えば納得がいく。そしてユーミンほど「かっこいいかどうか」について作品を通じて語り、その判断基準を発信した女性アーティストはいない。自分自身の「かっこよさ」にこだわった女性アーティストというのはいくらでもいる。しかし、同性のファンに対して「かっこいい女こそいい女なんだ」ということを繰り返し伝えようとしたアーティストというのはユーミンがおそらく最初であり、最高であろうと僕は思う。
では、いったいどんな女が「かっこいい」のであろうか。なにをもって「COOL」な女とそうでない女を区別したのか。それは失恋などでダメージをくらっても「ちょっとだけ」自己分析をする冷静さをもつこと、そして、「簡単に泣かない」こと、だと僕は思う。言いかえると中島みゆき的世界の女性のようにはならない、ということでもある。
中島みゆきの唄の女性に「自己分析」は似合わない。彼女たちは自分に対する「反省的思惟」をしない。そのかわり、捨ててしまう男たちを許すように自分をも許すのである。だから、よく「泣くこと」ができる。泣くという行為は「泣く自分」というものを許せないとできない。人間が堪え難いストレスを抱えた時には「笑う」より「泣く」方がストレスをためないのも、そこに過剰なストレスに耐えられない自分を「許す」という効果があるためだ。
前掲した「元気ですか」の私は「今夜は泣くと思う」とつぶやく。同じアルバムに収録された「化粧」のラストは歌い方そのものが「慟哭」である。中島みゆき最初のスマッシュヒットである「わかれうた」の冒頭の歌詞は「道に倒れて誰かの名をよびつづけたことがありますか」というもので、文字だけ見ると非常に「文学的」で「劇的」である。が、これは、泥酔して道に倒れこみ、泣きながら愛した男の名を叫んている、という光景だ。それが実質的「デビュー作」であるところに中島みゆきが「泣き」の世界の住人であることが見える。
これに対してユーミンの唄の主人公たちは「泣かない」。荒井由美時代の代表作である「海を見ていた午後」の主人公は「あのとき目の前で思い切り泣けたら」男と別れずにすんだかもしれないと回想するように、過去も現在も泣かない。
泣かずに彼女たちは「どうしてこんなことになったんだろう」「これからどうしよう」と考える。もう終わりだと思ったらそれ以上その恋には感情移入しない。できるだけ感情的にならず「次善の策」を考えるのである。
その中には当然「復讐」という選択肢も最も過激な反応としてある。「復讐」は一見「感情的」であるかのようだが、ユーミンの唄の女性たちの「復讐」は「計画的」であり、ただ感情に任せてのものではない。たとえば「もうすぐ可愛いあの人と引っ越しするとき気づく」ように「真珠のピアス」を「ベッドの下に片方」捨てるようなことである。酒井氏はいみじくもこれを「時限爆弾をしかける」と評したが、言い得て妙だ。少なくともこの行為にはそんな「計画性」と「確信犯」の恐ろしさがある。
しかし、多くの場合失恋したユーミンの唄の主人公は別れた男に「直接報復」をしようとは思わない。彼女たちは失恋の事実から、自分にはどこか「失敗する要素」があったことを分析し、「今度こそ幸せになる」ための努力を始めようと考える。たとえば「Destiny」という唄の主人公は「冷たくされていつかは見返すつもりだった」「それからどんなときにも着飾ってたのに」という具合に、振られた元彼が「振り向く」ような女性を目指す。この唄はそんな風に努力してきたのに、元彼に出あった時に限って「安いサンダル」をはいている皮肉な運命の唄なわけだけれど、ともあれ、ユーミンの唄の女性たちは「失恋」を通じて「自分磨き」をはじめようという「前向き」な人が多い。そして、恋愛中でもなにかと「努力」してその関係を保とうとする女性を応援する。(たとえば「シンデレラ・エキスプレス」)
同時に、ユーミンの唄の女性たちは、失恋した相手、振られた元彼に対しても、できるだけ「もう二度と会えない」ような修羅場を演じないように振る舞う。恋は終わったが、人間関係=「お付き合い」は残っていたりする。だから、ユーミンの唄には「元彼」のとの再会、元彼との再びの恋愛の兆しを唄った歌が多い。それは、リベンジのチャンスを窺っている場合もあるかもしれないが、多くの場合は逆「Destiny」というか、元彼に再会することで「成長した自分」を確かめることに主眼がある。
「失恋を通じて自分磨きを始める」という態度は、酒井氏のいうように恋愛結婚が主流となっていく70年代以降の社会に適応したものでもある。が、僕はそれ以上に、なにか「ビジネスマン」的な「賢さ」を感じざるを得ない。
つまり、ユーミンの求める「かっこよさ」とはつまるところ、「仕事ができる人間」であれということなのである。仕事ができる人間のように、恋愛に対しても決して情に流されず冷静に行動する女性、必要な努力は惜しまないが、かといっても破局になったらなったで、マイナス感情はなるべく引きずらず「次の機会」のために努力する、恋愛を自分を成長させる「キャリア」として考えられるような女性が「カッコいい女」なのである。
こうした女性像が同姓に受け入れられたのはまさに「時代」の流れだったろう。「男女雇用機会均等法」が施行されたのは一九八六年だが、それは七〇年代以来続いていた「女性の社会進出」の一つの「結果」である。ユーミンが世に出た時代はここと完全に重なっている。まさに彼女の唄は日本の戦後高度成長をもたらした「企業人マインド」を、女性像に写し合わせたようなものであり、それゆえ「ユーミン」は日本有数の「優良ブランド」として一世を風靡したのである、というのが僕の「ユーミン論」の一つの結論である。
【まとめ】 三人の女性シンガーソングライターの光と影
本文はあくまでも、「ユーミン」を語るためのものである。そこで「憧れとしての五輪真弓」「乗り越えられるべきライバルとしての中島みゆき」という配置を話の都合上行った。従って、五輪については光ばかりがあたり、中島みゆきはくさしてばかりというものになっている。しかし、これは筆者の本心ではない。同様にユーミン評についても彼女の弱点を僕は自分なりにまとめている。
ユーミンの唄の弱点とは「かっこよさ」の内実の裏返しである。つまり、「ビジネスマン」的「賢さ」は確かに「カッコいい」ものではあるが、肝心の「恋愛」や「結婚」においては決して有効な方法ではない。
人間が「仕事」というものに関わる時間は大学卒業から定年までと考えると大体40年、場合によってはプラス十年ぐらいある。その間の「取引回数」は職種にもよるがかなりの回数になるだろう。「失敗を糧にスキルアップ」という考え方はそうした「ビジネスチャンス」の量、数がある程度多い場合には有効であるが、「一生一度」のような場合にはあまり適さない。
ところが、普通の人間の人生において「恋愛」とくに「結婚」などの形になるような重要な「恋愛」の機会はそんなに何回もめぐってこない。多くの場合「一生に一度」である。「スキルアップ」はその「たった一回しかない」チャンスを逃さないためのものであるが、そのチャンスが「今ここにある」と思えるかどうかはそうした「スキル」とは別のものだ。
また、「自分を磨く」ことで「意中の人」をゲットするという路線を「費用対効果」の面から考えると、いいとこいって「元が取れる」程度であり、多くの場合は帳尻が合わない。恋愛の成就は「努力したご褒美」ではない。「仕事ができる女性(男性)」が「いい男(女)」を射止めるとは限らない。むしろ「君は一人でも生きていけるけれど、彼女は僕がいなければだめなんだ」式の身も蓋もない別れ話を切り出されることが往々にしてある。
そう考えれば、中島みゆきの唄の女性たちのように、「わたしにはあなたしかいない」ということを何の論理的根拠もなく思い続け、たとえ社会的には認められない境遇であろうともともかく「そばにいること」「あなたのパートナーであること」を懇願する方が、固定的なパートナーを得るということからいえば効率的である。それは、「恋愛の成就」に必要なことは"排他的かつ絶対的"な選択を相互に成し遂げることであるからだ。ユーミンの唄の女性は自分にも厳しい分、男にも厳しい、そういう目を持てば持つほど、そして恋愛の「場数」を踏めば踏むほど、評価は「相対的」となり、「このひとしかいない」という「絶対的選択」はできなくなるのが人情である。
ユーミン的恋愛の作法にはまってしまうと、結局、恋愛経験は数あれどステディな関係の「彼」はいないまま、ということになりがちである。これが酒井氏のいう「負け犬」なのであるが、「勝ち負け」といういい方が妥当であるかはともかく、そうなりがちな女性像というものをユーミンが提示したというのは事実だと思う。
これに対し、中島みゆきの唄はユーミンが掲げる「進歩への信頼」「自己改善能力」へのひとつの「アンチテーゼ」である。「人間はそんなにはかわらない」「勝利」と「前進」ばかりが人生ではない、というメッセージがそこにはこめられている。
中島みゆきのいわゆる「メッセージソング」にはほとんど例外なく「癒し」の要素「優しさ」の要素がこめられているが、それはドメスティックな「女」を描いた彼女の恋唄と表裏一体と考えるべきだろう。つまり、「いつの世にもかわらぬ男と女の愛憎劇」を取り上げることは、年が変わるたびに「恋愛のトレンド」が変わるような現代社会を影ながら批判する試みであり、だからこそ、人はそこにある種の「郷愁」を感じる。その「郷愁感」が「優しさ」であり「癒し」なのである。
ユーミンの唄はある意味で「勝者」あるいは「強者」への賛歌であり応援歌である。中島みゆきの唄はそうなれなかった人、そう思えない人のためのものである。NHKの『プロジェクトX』の主題歌となり中島みゆきの健在ぶりを世に知らしめた「地上の星」や同番組のエンディングテーマ「ヘッドライトテールライト」はその代表作であるが、このような主題をユーミンが作ることは不可能だし、作ったとしてもリアリティのかけたものにならざるを得ないだろう。
「ふるさと行きの列車」(「ホーム」にて)という場面設定、「縦の糸はあなた 横の糸はわたし 織りなす布はいつかだれかを暖めうるかもしれない」(「糸」)、「銀の龍の背に乗って届けに行こう雨雲の渦を」(「銀の龍の背に乗って」)というたとえは、ある意味では陳腐過ぎるほど伝統的なものである。しかし、中島みゆきの唄のすごさはそういう「伝統的なもの」が今もなお十分通用すること、われわれのある種の心情を表現するのはそんなものしかないことをつきつけるからである。
「故郷」「肉親」「いつまでも待っている女」それらは独特の湿度をもってわれわれを束縛する。が同時に守ってもくれる。だからこそ、中島みゆきはユーミンと共にあり続けることができる。
ワールドワイドな活躍を今もって続ける五輪真弓の弱点は、当初から「世界」を意識し、「世界大」で通用するものを作り続けようとする意識が、「日本」という土壌から作品を引っこ抜いてしまうところにある。彼女の唄はどこまでも「コスモポリタン」であり、与えるカタルシスの度合いもどこか「ろ過された」感覚を伴っている。
「ろ過された感覚」というのは簡単に言うと、「多国語に翻訳可能」ということである。先述した「なわとび」の歌詞は非常に完成されているものであるが、もうひとつ大きな特徴がある。それは英語に翻訳可能であり、翻訳しても歌詞が意味することがほとんど損なわれないことである。これは「少女」の歌詞にも言えることであり、五輪真弓がワールドワイドに人気を得るひとつの理由だろうと僕は思っている。
しかし、このように「多言語に翻訳可能」であるということは、日本語だからこそ伝えられるようなニュアンスや、「日本人にしか理解できない心情、価値」をできるだけ排除するということでもある。「煙草のけむりの中でかくれて見えない あなたはどんな顔で私をみているの」という歌詞ではじまる「煙草のけむり」は「LAサウンド時代」の五輪のスマッシュヒットであるが、この歌詞はおしゃれではあるがどこかよそよそしい。リアリティが薄く、まるで「洋画の字幕」のようである。
にもかかわらず、五輪の唄は彼女があの声量と歌唱力で唄い、当代最高のスタッフが脇を固めているがゆえに力をもってしまう。それは「千の風になって」という唄にも似た現象である。「千の風~」は文字通り「翻訳された歌詞」の唄であり、その内容も決して目新しくない。しかし、だからこそ秋山雅史さんや夏川りみさんといった人たちの歌唱力がいきる。五輪真弓の唄にはそうした二律背反、ワールドワイドな魅力とそれゆえのドメスティックなカタルシスの不足がつねにつきまとう。
五輪真弓の最大のヒット曲である「恋人よ」が素晴らしいのは、そうした「ワールドワイド」な言葉の使い方が結果として無駄な表現をそぎ落とし、この唄に関しては「俳句」や「短歌」の領域に達しているからである。「まるで忘却望むように」「マラソン人」が「止まる私を誘っている」という歌詞は「翻訳可能」ではあるが、その意味するところを伝えることができない。しかしそれは翻訳先の外国人に理解できないのと同じぐらい、われわれ日本人にとっても理解できないことである。言葉の中から一人ひとりが勝手に情景や情緒を思い浮かべるしかない、そういう唄である。だから、われわれ日本人もまたこの唄に共感した。五輪真弓のいく道はやはりこれからも「選ばれた少数派」の道しかあり得ないのだろうと思う。