大阪ダブル選挙は予想に反してなのか、予想どおりなのかはわからないが、橋下氏と維新の会知事候補の圧勝に終わった。
大阪市長はね、まあ、結果は予想通りなんでない。橋下氏の個人的人気度というのはそうとうなものがあるし、離れた関東で見ていると平松陣営は具体性のある批判を出せず、結果的にはネガティブキャンペーンに終始してしまった。大都市特有の「無党派の風」は完全に「橋下」に吹いていたわけだから、いかに既成政党総がかりでも「目玉」がなければ勝つのは難しい。
ただ、僕としては大阪府知事選の方までこんなに差がつくとは思わなかった。少なくとも候補者は「橋下さんの代理」という感じで僕なんかも名前を覚えていないし(それは失礼だとは思いますが)、決して知名度があったわけでもない。維新の会の総力を挙げたといっても、その維新の会自体ができたばかりの「地方政党」であるわけですからね。
この結果については橋下氏を批判してきた側も、それなりにちゃんと考えなくてはならないと思います。
少なくともこの選挙結果を見る限り、大阪府の大阪市以外の府民は、橋下氏のいう「大阪都構想」に相当期待していると僕は思う。それは、経済とか雇用などでの問題なのか、それとも公務員の「無駄遣い」の問題なのか、あるいは単に「大胆な改革」を漠然と望むものなのかはわからないが、今の現状に対する相当な不満が、橋下氏の主張への親近感とくっついていることはたぶん間違いないと思う。
「独裁者」とか「ハシズム」というレトリックでマスコミも既成政党も橋下氏を批判したけれど、そういう「政治手法」とか「語り口」の問題よりも、大阪府民は意外と彼の「やろうとしていること」「政策の中身」を見て判断したと思うべきだろう。反対に「パフォーマンスに踊らされた」とか「ワンフレーズ政治が受けた」とか言っている限り、次もまた足元をすくわれるだけです。だって、そういう議論は「みなさん、騙されているんです」ということにつきるわけであり、大衆蔑視の視点なんです、所詮は。
あの小泉政権のときだってそう。確かに彼は物事を単純化しすぎたし、ポピュリズム的危うさがあった。でもそれだけではない。彼は派閥の「数の論理」で動いていた自民党を「ぶっこわす」といい、確かに自民党の「派閥政治」はぶっ壊れた。政策的なことでは僕はなんにも同意できないけれど、「規制緩和」とか「市場経済主導」という路線をとことん推し進めたのは彼である。そこに生じた[自由」に夢を見た人もおおいはすだ。そしてなによりも多くの人は小泉という「一人の男」の行動力に魅了された。派閥の力がなくても、組織力に頼らなくても、一人の人間の発信力が「世論」という味方を得たら、そうとうなことができるのだということを知り、そこに惹かれたのである、と僕は思う。
今回も同じことが同じように起きた、そういうことです。
人々はマスコミが思っている以上に知っているのです。今の日本に必要なのは「組織を変える個人」だということを。組織の中にいて権限を持ち、責任を持っている個人がその所属組織の「既成概念」を打ち破り、「変革」をもたらすことが世の中を変えるのだということを。なぜ、アップルの創業者スティーブジョブズの伝記があれほど読まれるのか、なぜ中間管理職向けの自己啓発本がかくもたくさん出版されているのか、そのことと橋下氏が受けているのはおそらく同根の現象でしょう。人々は橋下氏に「組織を変えられるかもしれない個人」を見ているのです。だから、「独裁」言われても別に悪いとは思わない。「ハシズム」とかいわれても、それがどうしたとなる。
だから、もう僕はこのさい彼にやりたいようにやってもらいたいと思います。部外者の無責任な言い分だと思われるかもしれませんが、実際に彼のいう「大阪都構想」を具体的に示してほしい。そのうえで任期満了後にその是非を問うべきなのではないか、と思います。
朝日新聞にも書いてあったけれど、橋下氏も「今度は国政だ」とか安易に言わないで、自分のやりたいことを大阪で完結させるべきでしょう。前にも書いたけど、「国政かえなきゃだめだ」とか言って次は衆院選出馬なんていうのは、もうだめです。「国家権力とるまではなんにもできないんだ」なんていうのは昔の「左翼」の決まり文句でしかありません。