二つの聖地の間で② | 多弦Gutarist Tominha の部屋

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10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

萩が「近代日本」黎明の記念碑=一つの聖地であるなら、広島=ヒロシマはその近代日本の行きついた先の悲劇を記念する聖地、ではないかと個人的には思っている。ただし、その印象はまったく異なる。 

広島の平和記念公園を訪れるのはたぶん4回目ぐらいではないかと思うが、観光として、歩いたのはこれが初めてのこと。 
あらためて思うのは、この平和記念公園のスケールの大きさである。一観光客として徒歩で尋ねるとこの公園は本当に大きい。実際の規模は札幌の大通公園や、名古屋のテレビ塔周辺ぐらいなのであるが、周囲にあまり高層ビルがなく、空が広い分だけ大きさが際立っている。 
広島といえば中国地方最大の都市である。(もともと毛利氏の居城はこの広島にあった)そして平和記念公園は広島市のほぼ中心部にある。もともとは市内随一の繁華街がここにあった。大阪で言えば中之島界隈のようなところが、1945年8月6日、たった一個の原爆によって一瞬にして壊滅した。 
改めて記すまでもないことを、記さないではいられない気持ちを、この平和記念公園という巨大な空間はかきたてる。「原爆ドーム」と呼ばれるようになった建物は、レンガ造りの当時としては極めてしゃれた「産業振興会館」だったという。それもまた、いまに残るように半分ガレキとなりかろうじて壁とドーム天井の骨組みが残った。 
あのとき、ここにいた人たちは、その瞬間に外にいた人たちは一体どうなってしまったのか、そう考えるだけで慄然とする、そんな空気がここには満ちている。決して風化しない、風化できない人々の思いがここにはある。 

やはりここは特別な場所なんだと僕には思えます。いろんな意味で。 

近代国家とはいい意味でも悪い意味でも「ナショナリズム」=国威発揚をキーワードにして成立します。そのための装置を国家は必ず作ろうとする。それは独立記念だったり、戦勝記念だったりするわけで、そのためのモニュメントは必ず存在する。 
しかし、自国が負けた戦争について、そのプロセスでいかに多くの国民が犠牲になったとはいえ、それを「あやまち」といい、鎮魂と戦争否定のためにこれほどの規模の記念公園を造るという例を、少なくとも僕はあまり知らない。 
そして僕は極めて希有な平和記念公園の存在に、広島の人たちが原爆によって負った傷のあまりの深さ、大きさ、酷さを改めて感じてしまうのです。 

このような記念公園を遺していった戦後の日本の先人たちの思い、それは確かにナショナリズムの高揚をもってよしとするような考え方の人たちには受け入れがたいかもしれない。「自虐的」であるというかもしれない。現実に中国や韓国などがナショナリズムに傾いている中で、日本だけが「過去のあやまち」を語るだけでよいのかという人もたくさんいる。 

しかし広島や長崎に来て、今も残る人々の思いを感じてなお、そういうことがいえるものだろうか。 
旅の最後に広島に着て、そんなことを感じたのでありました。