不安と向き合う日々 | 多弦Gutarist Tominha の部屋

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10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

スピッツの(あ、ロックグループのね、念のため)リードボーカル氏が震災報道の影響でストレス障害になったそうである。4月からスタートするはずにツアーが予定通りできない状態なので昨日だか一昨日公表された。
その一方でKATTUNの田中くんがオフの日に一人で仙台(?)に救援物資を持って出かけて行ったという話も報じられている。
行動としては対照的だ。だけど、僕はスピッツのリードボーカル氏のことも理解できる。自分の抱えていた不安感を振り返れば、そんなにひとごととは思えない。

以下はあくまでも僕の経験である。人に押し付ける気は全くない。しかし、たぶん同じようなことを感じたひともいるのではないか、と思う。

僕が自分のことを精神的に危ないと思ったのは、14日~15日くらいだった。ちょうど原発で次々と水素爆発が起こり、首都圏に近いところで余震があり、夜中には静岡県を震源にした地震が起きたころである。
この先何が起こるかわからない、もう日本は終わり、少なくとも東京を含む東日本は終わりだと、その時には思った。そしておこりうる「カタストロフィ」の情景が頭の中に次々と浮かんできた。たまらない気分になって普段あまり電話もしたことのない友人と携帯で延々と自分の不安を訴えたり、避難する気はないのかと(相手に)問いかけてみたりした。
取り乱していたのである。完全に。
さらに僕を追い詰めたのは、そんな自分の不安感と周囲との「落差」である。かみさんは震災後はじめての週明けから、運休の多い鉄道を使って出勤する、それを送りに行くと同じようにたくさんの人が通勤している。そんな人々の「変わらない」姿が、まるで別世界のことのように感じられるのである。
こんな不安感を感じているのは自分だけなのだろうか、周りは危険に気付いていないのか、気づいている自分だけでも逃げるべきなのか、周囲を説得すべきなのか、と。気持ちはどんどん切迫してくる。

そんな僕の気持を落ち着かせたのは、一つには周りの人たちも実は大変な不安の中にいた、そのことがだんだん理解出来てきたこと。旦那さんが被災地(茨城と福島南部)のコンビニへルート配送をしている人の話、兄との会話、ネットでのやりとり、自分だけが不安ではないこと、でもみんな「守るべきもの」があり、「果たすべき仕事」があるから逃げられないだけだということがいろんな人と話す中で納得できていった。
もうひとつは、あの凄まじい状況の中で原発に立ち向かったハイパーレスキュー隊や自衛隊特殊防護隊、立場は違うけれど、福島原発の危機をなんとかしようと定年間近の男性が「志願」して福島にいったことなど。それでどの程度事態が進展したのかより、その勇気の存在、勇気ある人の存在に渇を入れられた。
でも、一番大きかったのは、あるラジオ番組がきっかけで被災地の子供たちへの愛おしさ、それが溢れだしたことである。その番組では震災にあった子供たちを励ますために、特別のリクエストを受けていたのだが、
「昨日、『アンパンマンのテーマ』が放送されましたね。小さい子供たちは聞いただけでとても元気になりました。だから今日はもう少し大きな子供たちが元気になるように『仮面ライダー』のテーマを放送してください」
というメッセージが読み上げられた。僕はそれをかみさんを迎えに行く車の中で聴いていて、なぜだか号泣した。涙が止まらなかった。津波で家を流され、家族を失い避難所で暮らす不自由で不安な生活のなかで、それでもラジオの「アンパンマン」や「仮面ライダー」の唄に合わせて笑顔で唄ったり踊ったりする子供たちの姿ははっきりと浮かんだ。
とても可愛かった
とてもけなげだった
とてもいとおしかった
僕はこの子たちに「遭わなければならない」。今はそのときではなくても、必ずきっと。彼らのためになにかしなければならない。その時のためにも、もう僕は逃げてはいられない。彼らとこの大変な時間を共有し、不安を共有し、つらさを少しでも共有することなしに、僕自身もまた救われることはありえないんだと。

それ以来僕はいろんな意味で「自我の壁」が少し崩れた状態にある。崩れた壁からは被災地の人たちの心情とか、原発のせいで故郷を去らざるを得ない人たちの無念とかが入り込んでくる。だからとても涙もろくなり良くも悪くもセンシティブになっている。
「逃げる」という選択肢はもうなくなったとはいえ、「不安」が消滅したわけでもない。原発のニュース(とく、テレビでの「今入ってきた情報によりますと……」というのが一番!)や余震のたびに動悸が高鳴るのも、揺れてもいないのに揺れているように感じることも続いている。最近、そういう人が急増しているというニュースを聞くと、ああそうなんだ、と思う。

不安を感じることは決して恥ずかしいことではない。みんなそうなのだから。
そして僕はみんなが共有している感情なのだということが共有されていけば、それだけで気持ちは随分違うのだと思っている。話すこと、こうやってネットに書きこむこと。そうやって「不安」と向き合っていく日々が、次のステップを作り出すんだと、今は思っている。