阪神大震災は朝の5時47分に起きた。
テレビのニュースを入れると地震情報だったが詳しい状況はこの時もまだ伝わっていなかった。
当時の村山首相の対応もまだノンビリとしたものだった。
記者から現地に行かなくてもいいのかという問いには国土長官が行ってからだと形式をこだわった。
朝の八時くらいだったと思うが政府官邸には、情報が来ていなかったのである。
しかも二時間も経っているにもかかわらずだ。
最初数人の死者の発表から始まり十人単位になり数十人になり百人を超えてから大変なことが起きたと目が覚めたのは村山首相も私も変わらなかった。
後で聞いたことだが自衛隊はすぐ後に待機していたそうだがすぐには出動命令が出ずやっと動けたのは数時間後だと知った。
この頃は地方自治の首長の要請がいるとのこと。(この時の教訓で法律が変わりました)
みんな国民なのでそういう援助が受けられると思っていたのですがその前に県の要請がないとダメなようです。
要請をしたのは夕方近くになってからなので、すぐに出動したらどれだけ助かったのかと思うと言いようのない気分になった。
夜のニュースステーションでは久米宏さんがボランティアの呼びかけをしていた。
ずいぶんと長い一日だったがこれから毎日が長く感じられた1995年だった。
この時はいろいろなことが起こり人の情けや行動、価値観が大きく変わった年でもあった。
大阪の知事さんは「なんでも大阪に頼られても・・・」と言ったのを覚えています。ノックさんが出馬しようと思ったのはこの一言も影響したのではと考えています。
無料でラーメンを提供している神戸のラーメン屋さん
北野誠が震災後の神戸で取材中の出来事
無料で提供しているラーメン屋さんがあり、北野さんは帰りがけにお金を払欧と思ったのですがオヤジさんは強硬に拒否。
北野さんは「わしは困ってない」と払うと言ってましたが、その後どうなったのでしょう。
今度食べに行きたいと思いました。
あるコンビニではバカ高い値段で水や食べ物を売っていたところもありました。
その後も正当な値段でないリフォーム、東京から宝石窃盗団がデパートに入り逮捕されたのは何週間も経ってからです。
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