深謝 サンファンの人々へ フェリアの成功裏に… | memorias pasadas

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JICAボリビア医療分科会主催のフェリアが成功裏に終了したのは、中心となって動いてくれたオキナワ市とサンファン市で活動する隊員の皆さんのおかげですが、それだけではありません。

サンファンゲート

フェリアの開催地であるサンタクルス県サンファン市は、戦後の日本政府による移民政策によって移住した日本人が開拓した土地です。彼らは沼地とジャングルだったこの地を文字通り命がけで開拓し、今まで約60年間をかけてボリビア随一の農業地帯に発展させてきたのです(詳しくはこちら)。

そのため、サンファンには日系社会が存在し、近年ボリビア人人口が増えてきている一方で、日本の文化を守りながら暮らしています。この日系社会のデイサービスセンターに所属するシニアボランティアが日頃からサンファンの人々と良好な関係を築いているおかげで、多大な協力を得ることができました。

例えば、今回のサンファンでの食事。
朝を除くすべてがなんと日本食。日系社会の人々の協力のもとで、お昼はお弁当を作ってもらい、夜は毎日異なった日本食レストランで食事を頂きました。
サンファンでは、日本米が生産されているのはもちろん、川魚の刺身やきんぴらごぼう、豆腐…任地ではまず口にできない、手に入らない食べ物の数々。お菓子には饅頭、かりんとう、煎餅、アンパン、クリームパン(特にパンは美味!日本の食パンも売っていた。ボリビアの庶民的なパンはバター使用量が少ないのかパサパサガリガリなので…)。
中でも一番感動したのは10ヶ月振りにいただいた納豆!
言葉にならないくらい美味しかった…。

サンファンのお食事

あんぱん

食べ物以外にもサンファン学園での講話やフェリア開催にあたる協力者の依頼、市役所との調整、物品の運搬、会議室の提供、などなど。
さらに当日は、市の保健センターの医師と、日系人数名がボランティアに来てくれました。

そして、サンファンの人々の温かいこと。
商店に入れば世間話をしながらの試食やおまけ、会議中のお菓子やお茶の差し入れ、レストランではサービス。
現代の日本社会にはないあたたかさ、いわゆる「古き良き日本」がそこにはありました。
一方で、日系社会の狭さ故に人々の距離が近すぎて苦労することもあるとか…結婚は大変だそうです。

移民政策打ち切り後、日系人は減る一方とのこと。さらに、若者は給与の良いサンタクルス中心部に仕事を求めてサンファンから出て行ってしまう傾向が加速しているとのことです。

大変な苦労をされてサンファンの地を開拓し、ボリビアの農業発展に寄与した日系社会へのリスペクトと、今回の分科会活動に対する協力に、心をこめてありがとうございました。改めてお礼申し上げます。

フェリア終了後打ち上げ