#556【neko26】:小さな自然観察会㉖(2024.09.13) | コトバあれこれ

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子ども作文教室、子ども国語教育学会の関係者による
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実りの季節 ―多摩川梨―

 

 

<多摩川梨「長十郎」>

   梨の季節である。まだ暑さ残るこの季節に、冷やした梨を一口かじると、冷たくシャリシャリとした食感とともに果汁があふれ、さらりとした甘味と香りが口の中に広がる。この季節の楽しみである。

 店先には、様々な品種の梨が並んでいる。長十郎、二十世紀、幸水、新生、豊水・・・。最近は、長十郎や二十世紀に代わって新しい品種が目立つようになった。私の地元川崎は、梨の産地でもあり、一番に浮かぶ品種は、「長十郎」であった。都市化で、だいぶ少なくなってしまったが、中原区の一部、高津区、多摩区には梨農家がまだ残っている。南武線沿線、久地駅から稲田堤駅あたりにかけて、サクラの咲きだしに一足遅れて真っ白な梨の花の開花が見られるのも、季節の楽しみの一つである。

 

 さて、川崎で梨栽培の始まりはというと、江戸時代の初期にすでに大師河原で栽培されていたということだ。下総方面から移入されたものと推測され、明治初期に大師地区、高津区、多摩区に広がったということだ。

 1875年9月、大師河原に住む当麻辰二郎が、自分の梨園で新品種を発見した。屋号から「長十郎」と名付けられた。1897年に、黒星病が大発生しほとんどの品種が壊滅的な被害を受けたが、「長十郎」は被害が少なく「病気に強い品種」として名をとどろかせたそうだ。大正の終わり頃には、梨の栽培面積は200haで関東一大産地となった。

 その後、川崎の工業都市化が進むと、大師河原から梨園が姿を消し始め、多摩川を北上し、高津、稲田生田、菅、稲城、国立にと広がったそうだ。現在は、「多摩川梨」のブランド名で、川崎では、高津区の北見方、諏訪、多摩区の久地、稲田、菅に梨農家が残っている。梨園の道路沿いに、販売所も設けられ、時期をずらして様々な品種が売られているが、仕事帰りに立ち寄った時には、もう売り切れてしまっている。

 

<二ケ領用水と梨畑>

 

 多摩川沿いの平野部は、奥多摩の笠取山を水源とする多摩川の沖積平野であり、梨の栽培に適した土地であった。また、江戸時代、幕府の命を受け小泉時太夫が指揮し16年かけて作られた灌漑用水「二ケ領用水」がある。1611年に完成した川崎側約30㎞(稲毛領と川崎領60ケ村)を潤す用水である。布田と宿河原の二か所に取水口があり、そこから大きな堀から小さな堀へと枝分かれしながら、400年を超えて、田や梨畑を潤してきた。この間何回も改修工事を経て、今は暗渠になった部分も多いが、取水口から上流部、中流部、幸区鹿島田あたりまでいろいろな流路をたどることができる。

   植生調査や水利用の様子を観察しながら歩くと、様々な発見があって面白い。今でも、用水の水を引いている田もあり、小さな堰や取水口も見つかる。また、季節の農作業の様子を垣間見ることもでき、興味深い。作業をされている農家の人から、話を伺えることもある。 

 

 

<梨栽培 ―授粉の花粉は外国産!― >

 

 12月、中野島から登戸方面を二ケ領用水の水路や梨畑をたどった。8月半ばから9月が梨の収穫期である。収穫を終え、晩秋の梨畑は、見事に手入れされていた。すっかり葉を落とした枝からは、徒長枝が伸びている。草取り、耕起、施肥等の作業を終わり日差しが地面に注いでいる。これから、剪定作業を終え、冬の間、樹はしっかりと休み、体力を回復しているのだろう。

 

  

     12月の梨畑

 

   4月、サクラ(ソメイヨシノ)が開花すると、すぐ梨も開花時期である。開花期間は、1週間ほどなので、この間の授粉作業は大変な作業だと思う。この、受粉について、昨年と今年、興味深い話を聞いた。

 

 授粉に使う花粉であるが、ただタンポンで花粉をつけて回るだけではない。自家授粉では、実らないため、精製花粉(粗花粉から、葯などの不純物を除いたもの)を購入して使うという。なんと、精製花粉は、中国産であるというのに驚いた。国産のものと思っていた梨が、これでは、完全な国産とは言えないではないか。

 

              

      摘果前の梨の実                  平棚仕立て 袋掛け

 

 <火傷病と花粉木>

 

 今年の5月下旬、ちょうど摘果の時期を迎える頃に再び梨畑と二ケ領用水をめぐってみた。そろそろ摘果と袋掛けを始める時期である。

 

 この時に、農家から伺った話に驚いた。中国で、梨に火傷病という病気が流行って、中国産の精製花粉の使用禁止となったということだ。花粉が手に入らなければ、受粉作業はできず、今年の収穫が望めなくなってしまう。

 中国産の精製花粉を購入するようになる前、各農家は、花粉木という花粉採取用専用樹を持っていたそうだ。そこで、花粉木を持っている農家から、花粉を分けてもらい精製して凌いだそうだ。在来のものの大切さを改めて感じ、また、農家の連携にも感動した。

 

 

<梨栽培 ―樹の仕立て方は、特許!― >

 

 青い梨の実が少しピンポン玉くらいの大きさになっている。梨畑をはしごしながら見て歩いていると、これまで気づかなかった不思議な光景に出会った。

 

 一般的な梨畑(これまであたりまえと思っていた)は、一本の梨の木が四方八方へ枝を広げ、それを棚で支えているものだった。平棚仕立てと呼ばれている。

 ところが、ある畑は、4mおきぐらいに整然と並んだ鉄パイプがYの字に扇のように並んでいる。梨の枝もそれに合わせて仕立てられているのだった。

 また、ある畑では、2m位の間隔を置いて並んだ木が、同じ方向に傾くようにして列を作っているのだ。これまでの棚とは、まったく違う光景に驚いた。

 

               

               ネット越しの立ち木扇子仕立て               トレビス型

  

   作業をしていた方に伺うと、この傾いた列は「トレビス型」という仕立て方で、神奈川県の特許であるという。また、前者の仕立て方は、立ち木扇子仕立てという他の県の特許であるらしい。

 

 帰宅してから、調べてみると、いろいろな新しい方法が試みられていることが分かり、驚いた。これまで主流の平棚仕立ては、葉の光合成で行われた産物の果実への分配が効率的に行われて、実も大きくなり収穫量も多いということだ。半面、枝を水平に誘引していくために徒長枝などが多く発生し剪定の手間が多いということだ。年間の作業量の多さ、担い手の高齢化、また、樹の老木化が進み改植が進んでいないという問題を抱えているということだ。

 

 近年、ジョイントV字トレリス樹形が開発され、枝を水平に誘引する必要がなく剪定時間の削減、上向き作業時間が短くなり作業姿勢の負担が少なくなるなどの改善がなされたという。トレリス仕立ては、密植により早期多収(3・4年)を実現できるようになったということだ。梨園の若返りや、就農者の若返りにも効果があると期待されているようだ。

 梨園で作業の手を止めて話してくださった方も、若手であった。ここでは、摘果後に袋掛けはしないということだ。袋をかけると仕上がりはきれいだが、味は袋掛けしない方が断然おいしいと言われた。こだわりを持って栽培されている。

 

               

         トレビス型                 トレビス型 摘果済み

 

<二ケ領用水の利用>

 

   本題の用水の利用についてである。この梨園も用水に面して取水口もある。さらに、この梨園のすぐ下には、田(耕作している)がある。昔は、用水を利用していたが、下の田の持ち主と揉めることもあったとのこと。どうしても上で水を引いてしまうと下には十分な量がいかない。まして、下は田である。今は、井戸を掘り、くみ上げた水を利用しているということだった。用水があれば、すべて解決とはいかないものだということも分かった。

 

 私たちの生活に一番欠かせない農業に、もっと目を向けなくていけない。食料自給率の向上を目指しているが、依然として30%台である。酷暑の影響で、米の収量や質にも影響が出て米不足も現実のものとなった。未だに近所のスーパーの米の棚は空である。

 

梨農家の販売所に並ぶ今年の梨は、純粋に(花粉も)国産梨である。旬のものをいただけることは幸せなことである。恵みに感謝し、しっかりと味わっていただこう。

 

                                  neko記