#365【Kiyomi_26】言葉が響くとき⑥ 「不可逆性」(2021.1.22) | コトバあれこれ

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子ども作文教室、子ども国語教育学会の関係者による
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 不可逆性

 

新年早々緊急事態宣言が発令され、ボランティアとして関わる地域の日本語教室の開室も中止となった。技能実習生や研修生、地域に住み働く在日外国人に向けた毎週火曜日の夜2時間の学習会である。

 

この教室では、新年の初回に書き初めをおこなう。ボランティアが家庭にある書道用具を持ち寄り、学習者達に好きな言葉を書いてもらっている。お手本の字は書道師範であるボランティアの一人が書く。学習者はそれを眺め、とめ、はね、はらい等を簡単に教えてもらい、練習する。「春」「夢」「平和」などの言葉が多い。今年はこの行事が中止となり、新年の気分も薄らいだ。

 

グラフィックデザイナーの原研哉さんの作品に『白』(中央公論新社)がある。

技芸や芸能の完成度を求める美意識の背後には、「白」の感受性があると言う。

 

「白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆な定着をおのずと成立させてしまうので、未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露されてはならないという、暗黙の了解をいざなう。」(『白』より)

 

子どもの頃の習字の時間を思い出す。硯に水を入れ、黙々と墨をする。墨をすりながら、呼吸を落ち着かせ無心になる。そして、お手本の赤い字を見ながら予行演習に入る。新聞紙に何度も練習をする。子どもの感覚で、もう大丈夫かなと思ったとき、習字用の半紙をフェルトの下敷きの上に置く。真っ白い紙を前に背筋が伸びる。筆の半分を墨に浸しながら、半紙に書く文字をイメージする。そうして、筆に浸した墨が「ポタッ」と半紙に落ちないように、筆先を何度も硯の上で整え、決心をする。白紙の上に自分自身を曝す決心である。筆を持つ手首がゆっくりと挙がり、下ろす筆の位置に全神経が集中する。

 

        

 

 

いざ白紙に踊った文字はイメージとは程遠く、半紙はたちまち練習台となる。見回る先生の橙色の筆が入る。何枚書いても気に入らない。不満を残しながらの仕上げである。小さな胸の中で、少しでも「完成」に近づこうと奮闘した心身の揺らぎが心地よく懐かしい。

 

 「不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。」(『白』より)

 

こんな思い出もある。友人の結婚式に招待され、親族の男性のスピーチに傾聴した。当時、私の周囲では、結婚を「会費制・平服」等シンプルなスタイルで祝うことが多かった。若い出席者達のざっくばらんなスピーチや寸芸が盛り上がる中で、その男性のスピーチは「異端」であった。堂々とした立ち姿、「僭越ながら」で始まる明快な発声、新婦のエピソードを含めた抑揚ある淀みない語り。若い聴衆は惹きこまれ、数分のスピーチが終わると大きな拍手が沸いた。

 

男性のスピーチの完成度の高さが、格式を嫌う若者達に感動を呼び込んだ。姪の晴れ舞台に、最高のスピーチを求め続けた覚悟に心打たれたのである。後に、「伯父さんのスピーチ、よかったね。」と友人に伝えると、「口ベタだから、テープに吹き込んで、そうとう練習したみたい。」と明かしてくれた。

 

 「まだ遅くはないよ」「やり直しはきくよ」失敗に対する多くの励ましの言葉がある。それらは優しさの発露であり、受けた側は再生の活力を生む契機ともなるが、ひょっとして私達は、そうした優しさに浸りすぎてはいないだろうか。

 

 「インターネットという新たな思考回路が生まれた。……ネットの本質はむしろ、不完全を前提にした個の集積の向こう側に、皆が共有できる総合知のようなもの……良識も悪意も、嘲笑も尊敬も、揶揄も批評も一緒にした興味と関心が生み出す知の圧力によって、情報はある意味で無限に更新を繰り返している」(『白』より)

 

 完成度を求める美意識と対極にあるのが情報の無限の更新である。どれだけ更新しても、「悪意」と「嘲笑」と「揶揄」がある限り、完成度を求めることはない。私達は欲しい情報に飛びつきながらも不安と猜疑心が拭えない。

 

その傾向が端的に示されたのが政治の世界である。偽りと曖昧な言葉が繰り返され、同じ数の「謝罪の言葉」で更新される。それを伝えるメディアでは、しばしば裏付けのない言葉がひとり歩きする。それらは、20世紀に先人たちが命懸けで創り上げてきた民主主義の理念をも揺さぶり続けている。覚悟が問われない無限の更新の先は混沌ではないだろうか。グローバル化された地球では、その身に起こる一つひとつの事象と私達は無縁ではない。

 

一国の大統領であれ首相であれ、あるいは市井に生きる人々であれ、誰にとっても今年ほど覚悟が問われる年はないように思われる。

 

                                                                        

      

     散歩道に作られた「どんぐりアート」。

 子ども達とボランティアの善意の作品は、人々の微笑みで完成する。

 

                                Kiyomi