旦那が癌だと分かってからの闘病を記録に残したくて始めたブログ。
過去を振り返って綴ってきましたが、ついにあの日のことを書くときがやってきました。そう、亡くなった日のことです。
亡くなったあの日、日付が変わってすぐのこと、私のラインに通知がきました。
寝ていましたが通知に気づき、こんな夜中に誰?と思ってみると、横のベッドで寝ている旦那でした。
毎月きまったときに、とあるスクショを私にラインで送ってくるのが習慣になっていました。その日はそのスクショが送られてくる日でもありました。
そのとき、ありがとうとか旦那に声をかけたら良かったのですが、こちらも眠くて確認だけして何も言わなかったんです。
旦那は私には背を向けて寝ていたので顔は見えませんでした。
スクショをとってラインを開き、私のトークを開き、送る写真を選択して送信。これは意識がちゃんとしていないとできないことですよね。
なので、日付が変わったばかりのこの時点ではまだ旦那の意識ははっきりしていたんだと思っています。
そこから1時間半くらいたったとき、旦那の呼吸が変な音がして目が覚めました。
見てみると、酸素マスクを完全にはずしてしまっています。酸素吸入しないと死んでしまうのに、今まで無意識で外すなんてなかったのに。
「マスクつけないとだめだよ」
といってつけさせたけど、なぜか嫌がってすぐに外そうとする。
しばらくつけて外してを繰り返して、ようやく落ち着いてマスクを付けてくれたので私も再度布団に入って寝ました。
1時間後くらい、また変な呼吸音で目覚めて見るとやっぱりマスクを外している。
さっきと同じやり取りをすると、今度は「いらんことするな」と手を払われてしまった。でも起きているわけではなくて、寝言を言っているような感じでした。目をつぶったままだったので。
この前にマスクを外していたときも正常な意識なら外すと苦しくなってしまうから絶対に自分からは外さないし、仮に外してしまったとしても呼吸が苦しくて目が覚めるはず。
でも目を開けていなかったので、おそらくこの時点ではすでに意識が混濁していたんだと思います。
呼吸がいつもと違っておかしいので、後で先生に見せようと動画をとりました。(この日は先生が訪問する日だったので)
結局この動画は無くなる3時間前のほんとうに最期の動画となってしまったのですが・・・
暑い暑いといって布団をとってしまったので、毛布だけにしようかと聞くとうんとうなずく。でも目は開いてない。
夜中に何度か呼吸がつらくなるから、起きて麻薬の薬を飲むのが習慣だったのにこの日は全く起きる気配がなく、ずっと目がつぶったまま。でも会社のこととか私との会話はしている状態。
しばらくして落ち着いたので私も再度布団に入って眠り、起きる時間がきたので起床。
朝までぐっすり眠ることがあまりなかったので、今までは毎朝私が起きたときにはすでに旦那も目覚めていたのに、この日は私が起きても眠ったままで起きる気配が全くない。
この時点でもしかしたらと気づけばよかった。
今日はめずらしく起きないんだねと思いながら、子供の朝ごはんと弁当の用意を始めました。
でもマスクをまた外してないか気になったので旦那のベッドとキッチンを行ったり来たり。
何度目かのとき、今まで目をつぶっていた旦那が急に目をガッと大きく開きました。その目は目覚めたばかりの目ではなくて、なにかをしっかりと見つめる、すごく眼力のある目の開き方でした。
目の前に私の顔があっても私を見るでもなく、あさってを見ているような視線で。
このときも気づけばよかった。
私はそんな目なのに単純に起きたのねくらいにしか思わなくて、すぐにまたキッチンに戻ってしまった。
人は亡くなる直前に急に元気になるとか、起きることがあるなど聞いたことがあります。
目が開くのも目覚めたわけではなくて、最期に目の筋肉が動いて開いただけというのもなにかで見たことがあります。
旦那の場合もきっと筋肉が動いただけだったんだろうと思っています。
子供の水筒にお茶を入れて旦那のもとに行くと、体が固まっている。呼吸をしていないことに気づきました。
「あ、死んじゃった・・」
亡くなっている旦那を発見したときの気持ちはとても一言では言い表せません。
現実なのか?ほんとうに死んでしまったのか?また呼吸して動くよね?
え?ゴウくんの最期の瞬間、私、立ち会ってないよ?この部屋でたった1人で逝ってしまったの?
え?もう終わりなの?もうゴウくんと話できないの?
ゴウくん、ゴウくん・・・・
何度も声をかけたけど、動かない。泣き叫ぶとか号泣とか不思議なことに全くなくて。涙も出てきませんでした。
現実と思えなくて、あまりにも突然だったからただ呆然としてしまって。
入院していて最期の瞬間に間に合わないのは仕方がないかなと思っていたんです。
呼吸や心拍が止まっても延命措置はしないと言われていたので。止まったとしても家族がかけつけるまでは延命措置でつないでくれるか先生に聞いてみたけどそれはやらないと言われました。
でも旦那は最期は自宅で迎えました。そのために自宅で介護していたのに。最期に旅立つ瞬間にそばにいてあげられなかった。1人で逝かせてしまった。
在宅介護しているなら、旅立つ瞬間にそばにいてあげられる。だからその時はベッドで寝たまま旅立つのではなくて、私が旦那を抱いて私の腕の中で逝かせてあげたい、そう思ってきたのに。
亡くなる数時間前からの異変に私がちゃんと感づいて、そばでつきっきりで状態をちゃんと見ておけばよかった。
もうそれだけが後悔で仕方がありません。
ただ唯一救いなのは、意識が混濁していたので本人はおそらく苦痛は感じていなかったであろうこと。
表情がほんとうに穏やかで、いつもの眠っている顔だったので、苦しくはなかったんだと思っています。
肺がんだったので、最期、陸にいるのに水中で溺れているような呼吸苦で亡くなるのだけはかわいそうだと思っていたので、そうではなくて本当に眠るように逝ったようで、良かったなと思っています
幸い、痛みも麻薬でコントロールできていたので、骨転移もあったけど痛みに苦しむことはありませんでした。
訪問看護師を呼んで、医師も来て死亡確認となり、ほんとうに旦那が亡くなってしまいました。
身近な人間を、毎日ずっと同じ家で顔をつきあわせて暮らしてきた人間を亡くした経験が初めてだったのですが、人って本当に亡くなってしまうんだ、こんな簡単にあっさりと亡くなるの?という気持ちです。
人は必ず死ぬけれど、自分の身近な人間、うちの旦那はそんなすぐには死なないだろう、決してそんなことはないんだけど、心のどこかでそんな風に思ってきました。
それが本当に死んでしまった。これが現実なのか。私の身に起きたことなのか。
私の旦那だよ、私の旦那よ!そんな死ぬわけないじゃん。ほんとうに死んでしまったの?
旦那が亡くなり私は喪主。旦那のそばでいろんなことを思う時間などなく、現実は無惨にも夫を亡くした妻に対して次から次にやるべきことを課してきました。
悲しむ暇もなく頭の中は葬儀とか手続き、連絡などでいっぱいになりました。