ステージ4の肺がんだと分かったとき、主治医から余命を言われるんだろうなと覚悟をしていました。

 

治療をしたらこのくらい、しなかったらこのくらいって。

 

でも主治医は結局治療が終わる最後まで、余命については何も言いませんでした。

 

旦那の余命を聞いたのは、緩和ケアに入院するための面談のとき。

 

3週間から1ヶ月くらい。

 

何となくそのくらいだろう、もう長くはないだろうと覚悟をしていたら、予想通りだったので、私一人で余命を聞いたけど、特に泣いて取り乱すとかもありませんでした。

 

 

病気が分かったときから長くても1年か2年くらい。子供が高校を卒業するまでには多分亡くなるんだろうな、劇的に薬が効かない限りは、ってずっと覚悟をしてきたからかな。

 

1ヶ月くらいと言われても実感が全くわかなかったのもあるかもしれません。

 

緩和ケアの先生の

 

 

「まだお若いのに・・・」

 

 

のひとことがズシンときました。えーん

 

 

さあ、ここからです。余命を聞いたら今度はそれを本人に伝えるかどうか。

 

私は自分だったら、どんな短い余命だったとしても聞きたいです。死ぬまでにやれること、伝えること、言う事いろいろやり尽くしたいから。

 

でもそれは私がメンタルが強いからだと子供や義実家の人たちに言われました。

 

確かに私は昔からメンタル強め人間です。自覚あります。

 

自分の人生だから、最期の最期まで自分のやりたいことをやってから締めくくりたいって私は思うんですよね。

 

でもうちの旦那はそこまでメンタル強くない。なんなら弱いほうかも。

 

余命がもっとあって、短くても3ヶ月とか、あとは半年とかあって、抗がん剤の副作用はあっても普通に生活できる状態なら伝えたと思います。

 

そして体が動くうちに、本人の行きたいところ、食べたいもの、会いたい人など好きなことをさせてあげたと思います。

 

でも、余命を聞いたとき、酸素吸入がかかせない。少し動くだけでも息切れがひどいから、移動は負荷をかけないように車椅子。

 

そんな体だったので、ベッドから自由に動けない状態。そこへきて余命が短いことを知っても何もできない。かえってメンタルが落ちてしまう。かわいそうだ。残酷すぎる。

 

という子供と義実家の人が反対したので、本人には余命は伝えませんでした。

 

私は最初は当然のように旦那にも伝えるつもりでした。

 

だって、旦那の人生は旦那のもの。最期をどう過ごすかは旦那が決めること。それをいくら妻だから、子供だから、親だからといって奪ってはいけないんじゃないか。

 

そう考えていたから。

 

体調不良からそのまま入院して以来、全く会社へは行けていなかった旦那。ラインや電話とかで何かしら毎日会社の人とやり取りをして少しは仕事をしていたのですが、それでも行きたくても行けなかった会社。

 

半日でもいいから会社に顔だしたい、仕事に復帰することが最終目標とずっとそれを励みに毎日を生きていました。

 

それが余命を知ってしまうと、一気に出社という目標も亡くして、かえって死期を早めてしまうのではないか。

 

そんな懸念もあったんですよね。

 

亡くなる前日とか2日前とかには、会社の人に終わりは近いと思うとか、ラインをしていたので、何となく自分の体の具合から終わりは近いんだろうとわかっていたのかもしれません。

 

それでもはっきりと先生から言われた余命を知らずに旅立ったのは、今となっては旦那の性格を考えたらこれで良かったんだろうと思っています。

 

亡くなる前に聞いておきたいこと、確認しておきたいことなど2人でいろいろ話し合ってきたんですけど、余命についてだけは最初から最期まで全く触れませんでした。

 

「もし私だけ先生から余命宣告されたら、聞きたい?教えたほうがいい?言わなくてもいい?」

 

って旦那に聞いておけばよかった・・・・

 

いつか私が旦那の元にいったとき、聞いてみよう。

 

「ゴウくん、余命1ヶ月くらいって言われてたんだけど、伝えてほしかった?」って。