新高野街道 | ロンママの笑うが勝ちや

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ぐるぐる近所を、まわって ささやかな発見をお伝えします。

ハイキング仲間と南海高野線.高野下駅から極楽橋駅前の道

新高野街道⭐️槙尾道⭐️長坂道と呼ばれている古道を歩いてきました

まず九度山駅のおにぎりスタンドでシャケおにぎりを購入(かまど炊きのこだわりです)

左下は高野下駅下車スタート

国道ではなく細い道へ入ります 新高野街道は、、車が一台通れる幅の道です

右上は御成婚記念道程標です 200メートルおきに石標があります

沢沿いにくねくね坂をのぼり、、蒸せますなぁ

右下 旧苅萱堂に到着、、、半崩壊ですなぁ

お堂の中にはきれいな???何だろう?

 

ここから山道に入ります、雨が続いていたので、倒木があり、足元注意ですなぁ、

ミミズ、キノコや苔、タケニグサ、スズカデソウがあちこちに

右上長坂地蔵 観音様かしら?

左上弘法大師堂

右下は、、なんと、、、びっくり鹿の骨だよね

 

神谷辻で京大坂道と合流して

繁栄していた頃の名残りありの建物があります(旅館や茶店があったらしい)

廃校になった白藤小学校は休憩所、カフェになっていて、たまたまイベントが開催されていてラッキーでした

神谷地区を抜けて

弘法大師ゆかりの四寸岩を踏みしめて(弘法大師空海さんの足跡と伝承される踏み跡が二つ残る岩)

踏み幅が四寸(12センチ)かつての参拝者は必ず通ったそうです

ご利益あるかしら?

急階段を降りると極楽橋駅に到着しました

 

慈尊院からの町石道に比べると、最短ルートだと実感しました(半分くらいかな)

 

看板より

御成婚記念道程標
この道は高野参詣道のひとつであり、この道程標をはじめ多くの石の里程標(二百メートル間隔)などの残る古道です。
高野山より紀の川に達する最短ルートであり、
大師が槇尾山・槇尾寺(現施福寺)に参詣するとてこの道を通ったものと考えられます。
江戸前期の西国道中記にもこの道を通り槇尾山を目指したとあり、また寛政期の高野山絵図にも「槙尾道」と描かれております。
大正十三年 昭和天皇の御成婚を記念して道程標が椎出、神谷、女人堂に建立されました。
遡る大正二年頃から、高野山開創千百年記念法会(大正四年)に合わせ、高野口から女人堂に至るこの道が再整備され、県道に昇格。
ここに「新高野街道」が誕生しました。このころの高野参詣道としては最高の繁栄を極めた道です。
椎出を起点に、高野山の隆盛を支えた近代的な輸送手段が整備され、
高野索道が、明治四十三年に大門まで整備、百に及ぶ搬器がこの街道の上を、ゆらゆら昇降しておりました。
大正十四年には高野参詣自動車が、この街道に並行して西側山間部を、極楽橋まで自動車専用道路(日本初)を整備、イタリア製の乗合自動車3台を運行していました。
このように歴史ある街道も道路整備や鉄道の延伸により大きく変遷を遂げましたが、
古き時代を偲び、大師とともにお山を目指す祈りの道であります