泉南飯盛山 | ロンママの笑うが勝ちや

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ぐるぐる近所を、まわって ささやかな発見をお伝えします。

昨日のハイキングより〜日曜日は晴れて良かったわ(本日25日は強風に雨ブルブル)

泉南飯盛山は、ご飯を盛ったこんもりとした形ですなぁ?たぶん


淡路島〜明石海峡大橋〜大阪市内もぐるりと見えました
赤い大きなお船はタンカーかしら?
関空へ降りる飛行機は2機見れました(便数は少ないのだろうな)
看板より
飯盛山(海抜384.5メートル)
この山の頂き近くに「千間寺」という寺があった。
開基は 役の行者といわれている。修験道葛城28宿の第4番の行場であった。
戦国時代には根来寺の末寺なって 、数多くの僧兵が住んでいたが 、織田信長の雑賀攻め(1577年)か豊臣秀吉の根来攻め(1585年) のときに、兵火にかかって焼失した。
寺跡には現在でも屋根瓦や日用雑器の破片が散乱している
その当時栽培されていた 茶の木も現存するほか、馬道、大門跡の地名など、数多くの伝承が残されている。
幕末期 、異国船が往来するようになり、その見張りのため「番所」が設置され 湾口の状況を逸早く大坂へ通報する役目を果たした
岬町教育委員会

見晴らしが良いので黒船を見張っていたのですね


飯盛山金剛童子
昔、役行者は葛城霊場を不動堅固に保つために葛城の八方位に金剛童子を配して
結界しました。
此 処飯盛山(般若ヶ岳)には、その葛城八大金剛童子の一尊禅前童子を配して葛城の西北位を結界しています
尚、この山頂には昔、修験の飯盛寺がありましたが
天正の兵火で廃塵と帰し、難を逃れた本尊釈迦牟尼佛は孝子の金輪寺に安置されています

宝照院鉄山記す