足の状態もだいぶ良くなり、リハビリがてらお出掛けをしてきましたニコニコ






奈良護国神社です⛩


平日昼間に1人でお出掛けも、普段なら全然平気なのですが、今はまだ足の状態が完全に良くなった訳ではないため、夜勤明けの夫を引き連れて行きましたニコ(夜勤と言っても基本は待機なので夜は割と寝る時間は確保できているようです。)


こういう時、行きたい場所が夫と一致していて助かりますニコニコ


奈良護国神社は、明治維新から大東亜戦争までの国難に殉じた奈良県出身者の軍人・軍属・従軍看護婦ならびに満蒙開拓青少年義勇軍の青少年、県下の消防団員、合計約三万柱の御英霊が祀られています。





↑満蒙開拓団青少年義勇軍殉職者の慰霊碑
「拓魂碑」

碑文
この碑は 奈良県送出満洲開拓犠牲者の偉業を讃えその霊を慰めるため広く県民の参加を得て建てたのである
満洲事変後国策の根幹として満洲政策の重要な基盤をなしたのが満洲開拓で 本県からも満洲開拓青少年義勇軍に 開拓団に 報国農場隊に 約3千数百名が渡満した
右手に鍬左手に銃度々の匪襲を退けて開拓に国境警備に或は軍の協力部隊として奉公に専念した
然し終戦は我々開拓者には特に残酷の極みを体験させた
無一物の逃避行 衣食なく医薬なく次々に斃れた 凍死した 隊員は自決した 捕虜で死んだ その数千2百名
開拓関係の諸問題は未解決のまま今尚迎えられる事なく酷寒の異境に居る
我々も肉親も忘れることは出来ない
止むに止まれぬ同志は 兄等を迎える安らぎの場として最良の地を選んだ
どうぞ還って永眠されよ
我々は衷心より感謝を捧げその功を永久に残したい
真の平和の守護神となられんことを

↑碑文を読もうと思ったのですが、所々削れた?部分があり読み辛かったため、ネットで文字を確認しました。


↑奈良県出身全戦没者のための「戦没者慰霊塔

ビルマでの戦没者の慰めるパゴダ状の「ビルマの塔」

日本軍はインパール作戦を実施しましたが、惨憺たる失敗に終わっています。

今から時代を遡ること76年前、こんな凄まじい出来事があったんだと胸が苦しくなります。


今の時代は、なんだかんだ言っても、衣食住に困ることはほぼなく、昔に比べ遥かに生きやすい時代だと私は思っています。


昔の日本を護って下さったご先祖様たちに恥じないよう、しっかりと生きないと、と思いました


そして、神社の参拝を終え、ならまちへ移動しましたニコニコ


ならまちは10年ぶりくらいですキラキラ


なんか、飲食店が増えたようなラブラブラブ


古民家の洋食屋さんに立ち寄り、ハンバーグランチを食べましたもぐもぐキラキラ

美味しかったハート


↑ならまちにも鹿さんいてました🦌


久しぶりのならまち散策、とても楽しかったですニコニコハート


来週は、母と正倉院展に行く予定ですおねがい
今年は当日券は販売していないようなので、前売り券を購入しようかと思います音符
※10/23追記→前売り券はもうどこも完売の模様…ゲッソリ毎年、苦労することなく前売り券貰えていたので油断してましたアセアセ大体、こういう競争の世界はいつもボーっとしてて逃すタイプですガーン残念〜!


正倉院展は、また来年ですねタラー
どこか別の場所に行くこととしますショボーン


来月からは職場復帰するし、それまでにエネルギーチャージしておかなくてはキョロキョロキラキラ


全国の護国神社巡りもしたいし、行きたい場所もまだまだ沢山あるし、そのためには元気で長生きしないとなぁと思いましたニコニコ