最近は次男の二分脊椎のお話しが多かったので、久々認知症の祖母のお話しの続きを書こうと思います
話がとっ散らかってますが…
次男の二分脊椎は、せいぜい6年半前なので、何とか記憶が保たれていますが、祖母のお話しは約20年前…記憶が曖昧な部分や、看護師の資格を持つ今振り返ると無知だった部分、昔のやり方だったなぁと思う部分…色々あります。
【介護】に関しては、関わる程度は人それぞれ違いはあるものの、大抵の人はいずれ通る道だと思っています。
私は、人生の早い段階で、【介護】について少し学ぶことができたことは非常に良い経験だったなあと今は思います。
ザ・認知症の祖母の徘徊に振り回された私たち家族。私、当時18〜20歳
学校の教科書が破られる、なんでこともたまにありました…
田舎育ちで足腰達者な祖母が脳梗塞で倒れたのは、私が20歳の時。
近所の急性期病院へ救急搬送されました。
そして、急性期治療が終わると慢性期病院へと転院し。
そこから祖母の寝たきり生活がスタートしました。
がその前に。
急性期病院で、仙骨にでっかい褥瘡が出来てしまった模様。
慢性期病院に移る際、褥瘡が心配だった父が、慢性期病院の看護師さんに、褥瘡の治療をよろしくお願いします、よく観察しておいてくださいとお願いしたら…
「私達、プロですから。」
と、つっけんどんに返されたそうです
で、そのプロ集団たちが褥瘡を治してくれた訳でもなく。
もっと大きな褥瘡を抱えて家に戻って参りました笑
家で介護をしなければならない母は頭を抱えたようですが、訪問看護師さんがとても良い人だったみたいです
当時、湿潤療法なんて言葉はありませんでした。
処方されたお薬はネグミンシュガーで、毎日創部を洗ってガーゼ交換、そして2時間毎の体位交換をただひたすら、母は頑張りました。
夜中も、2時間毎に起きてひたすら、オムツが濡れていたら交換、体位を変え、衣服を整え…。
その甲斐あり、傷は綺麗に治りました
訪問看護師さんも、
「お母さんの愛の力やね〜」
と言っていたようです。
コレはホントにそう思います。訪問看護に入る時間は限られているので、家族の協力があるかないかで傷や病気の治りかたは大きく変わってくると思います。
こまめに創部を洗浄、清潔に保ち、体位を整え、栄養ある食事を摂る…基本的なことをしっかり行った結果だと思っています
当時の私は、看護とは全く無縁の世界にいたため、上記のことは私は全く関与していません
全て母が訪問看護師さんに教えて貰いながら頑張ったようです。
おばあちゃん、お母さん、本当にごめんなさい
ちなみに、祖母から見た母は、【嫁】の立場です
お母さん凄いなあ…と思います。
お父さんと喧嘩する日もありましたけど、だからと言って祖母を粗末にすることは一切なく。
だって、お父さんとおばあちゃんは別の人間だし…。
とのことだそうです。
こういうところ、尊敬します
そんなこんなで寝たきり生活は2年ほど続きました。
また次回は、誤嚥性肺炎になった祖母について書こうかと思います。