元横綱、曙太郎さん死去 54歳 17年に緊急入院、療養生活 | ☆Precious Days☆

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☆毎日新聞☆

 

大相撲の外国出身力士で初めて横綱となった第64代横綱・曙太郎

(あけぼの・たろう、旧名チャド・ローウェン)さんが死去した

ことが11日、明らかになった。54歳だった。   

 

米ハワイ州出身。1972年7月の名古屋場所で外国出身力士として

初めて幕内優勝した元関脇・高見山の東関親方(当時)にスカウト

され、87年2月に来日。高見旺、高見州と同じ東関部屋に入門した。

 

初土俵は88年春場所。同期に若貴兄弟、魁皇らそうそうたるメンバーが

いるなか、「大海」でデビュー。大魁がいたため、わずか1場所で

「曙」に改名した。

 

同期で後に横綱になる若乃花、貴乃花兄弟らと出世を争い、90年9月の

秋場所に新入幕。203センチの長身を生かしたリーチの長い迫力満点の

突っ張りを武器に番付を駆け上がり、初土俵から12場所で十両に昇進。

十両も3場所で通過し、90年秋場所で新入幕を果たした。91年春場所

には小結、夏場所で関脇に昇進した。同じハワイ出身の師匠に加え、

先輩・小錦らの存在も大きく成長を支えることになった。

 

関脇だった92年5月の夏場所で初優勝し、小錦に続く史上2人目の

外国出身大関になった。当時は横綱が不在だったが、若貴兄弟の

好敵手として空前の大相撲ブームを支えた。2場所連続優勝を

果たした93年1月の初場所後に第64代横綱に昇進した。  

 

昇進後も同年名古屋から3連覇。翌94年も春場所で優勝と若貴兄弟を

しのぐ勢いと底力を見せつけた。しかし、体重増加が膝と腰への

悪影響を及ぼし94年以降は休場が目立つようになった。2000年

名古屋場所では19場所ぶりに優勝。同九州場所でも優勝し、復活を

アピールした。しかし、両膝は限界に近づき、01年初場所後に引退を

決断した。「外国人とか日本人とかではなく、日本相撲協会の一員

としてやってきた。横綱になれて感謝の気持ちでいっぱい」と話した。

通算成績は654勝232敗181休だった。


96年4月に日本国籍を取得。98年2月の長野冬季オリンピックでは

開会式で土俵入りを披露した。

 

引退後は年寄「曙」として東関部屋で後進の指導に当たった。

年寄名跡を取得せず、引退後はしこ名のまま記者クラブ担当として

公式記録や各段優勝者略歴を作る職務に当たった。記者への口癖は

「兄弟子、ごっつぁんです」。偉ぶることなく、流ちょうな日本語で

冗談も飛ばした。  

 

03年1月の初場所後に同じ高砂一門の朝青龍が横綱になると、横綱

土俵入りを指導した。東関部屋付き親方としては高見盛(現東関親方)に

徹底して稽古(けいこ)をつけて三役に導いた。東関親方は「自分の

気づかない細やかな指導で番付を上げられた」と語る。

 

03年11月に日本相撲協会を退職し、プロ格闘家に転向。同年大晦日

には格闘家のボブ・サップさんと対戦して話題を呼んだ。05年には

プロレスにも参戦し、フリーのレスラーとして活動を続けた。17年

4月に福岡県内であった試合後に体調不良を訴えて緊急入院し、療養

生活を続けていた。