アルコール病棟では、
院内ミーティングが、ほぼ毎日ある。
それは患者だけでする勉強会や、
ディスカッション。
断酒会やAAという酒害者(お酒に悩む人達)による、
酒害者のための自助組織。
このミーティングに参加する事を、「またか」
と煩わしがる人もいれば
「今度こそ絶対に滑らない!少しでも為になる話を聞いて自分の糧にする!」と
張り切っている人もいる。
多い日には院内。院外合わせて一日3回位ある場合もある。
それぞれが今までの酒害・及び周囲の人に迷惑を
かけた事を自覚するとともに、今後の断酒を誓う。
(この体験談を他で口外する事は禁止)
・・断酒会のなかで有名な言葉。
これから生きていく上で、気の遠くなるような断酒と戦う為に
残された言葉だ。
「今日飲まなくてもいいじゃないか、飲むか飲まないかは
明日考えよう」といった、考え方で振り返れば
その日々の累積が一生断酒をさせている。
という理想の格言だ。
・・・が、人は、朝起きた時、夜寝る時、そして翌朝。
メンタルコンディションは
大きく変わっていて普通だ。
いわんやアル症患者は刹那的で、
「その時気持ちが良ければ良い、
後は酔いが覚めてから考えよう」
と考える人が多いと思う。僕がそうだ。
だから、
自助会への参加・定期診察・抗酒剤を欠かさない事が
『断酒三原則』・・と言われている。
病棟内の患者さんの中にはミーティングを
面倒臭がる人もいたが、僕は嫌いではなかった..。
・・ナニシロ閉鎖された場所で
何もやることが無い事ほど退屈な事は無い。
喫煙室に気の合う患者さんだけがいる訳でもないし、
必ず話が盛り上がる訳でもない。
それなら大量飲酒をした人が、結果どうゆう体験をしたのか
聞く方に興味があった。
・・断酒会も、AAも、1人で喋らせられる枠がある。
それを極端に嫌がり主席したがらない人も結構いたが、
僕はそれに抵抗は感じなかった。
前職でプレゼンとかもやらされ慣れていたし、
僕の失敗談が誰かの役に立つなら価値的だと思っていた。
出席してみると正直・院内断酒会も、AAも
『これからも希望に溢れて!!』
というポジティブ感よりも、面倒臭いなぁとか、かったるい、
早く終わんねぇかな・みたいな惰性的な空気だった。
・・しかし、その日に来てくれた、ある地域の断酒会会長さん?の話は、
今でも強烈なインパクトとして残っている。
その人の年齢は推定70歳前位か..。
その人がまず話し始めた
「皆さん、酒とは本当に恐ろしいものです!
特に、アル症になって連続飲酒が始まったら
昼も夜も時間の感覚も判らなくなり、
何杯飲んだかの自覚もなく、酩酊状態となり、
なんの気力もなくなります。
酒のウマイ不味いという感覚もなくなり、
気になるのはただ一つ。
酒が切れて離脱症状にならないよう、
酒の残量だけは、ボヤけた頭でも
チェックしています。私は10年前、
1人暮らしで約半年間、呑んでは眠り、
起きては呑むという繰り返しをしていました。
家族がたまたま訪問した時には、
髪も髭も伸び放題。
久々に訪問した家族が扉を開けると、
この世の物とは思えないほどの
悪臭で吐き気がしたそうです。
体は死にかけの山羊のようだったと言っていました。
・・トイレやバスタブは嘔吐物や汚物で満杯。
・・仕方がないので、
もう身の回りに吐き出すしかありませんでした。
畳は腐り、原型をとどめていなかったそうです。
もう人間の姿ではないですよね。」
・・・・・強烈すぎる(-_-; そこまでなるのか..(汗)
しかし、僕にとっては大変為になる話だった。
この状態をアル症の『底つき』・・と言う。
今後も良く出て来るワードだ。
その後、それぞれの患者が「一日断酒で頑張ります」とか
「今日で断酒〇〇日です」「パスします」等と一巡して例会は終わった。
・・・僕は今後、退院後、幾度か底付きするのだが、
その経験も後に詳しく書きとめようと思っている。、
・・持論になるかもしれないが。
断酒に一番効果的なのは『底つき』をし、
生き地獄を何度味わうかだと思っている。
酒の快楽よりも底つき地獄がバランスシートで上回った時、
断酒の腹が決まると思っている。
そうじゃないと言う人もいるだろうが、アル症は脳の病気。
「気合いと根性・固い意志では絶対に治せない」と
アル症分野で日本で最高権威の理事が言っている。
-----------------------------------------------------
ミーティングが、終わり病室に戻った。
僕が新患部屋から、移動する先は、
まだ決まりかねていた。
「・・どうやら今日も、同じ部屋かもな
空きベッドもあるし」
なんて思っていたところ、ドタドタドタと
慌ただしくストレッチャー(車輪つき担架)で
隣のベッドへ新患が入って来た。
10月末で肌寒かったのだが、
着のみ、着のままと言った感じで、
上は半そでTシャツ・下は膝下位の半ズボン。
背丈は160cm位で歳は30歳半ばくらいに見えた。
体形はコロっとしていて、30㎝位のチョンマゲを結っている。
ちらりと見ると、肌の露出部分が擦り傷だらけだ。
深い傷はなさそうなのだが..。
彼は早速点滴を打たれた。
・・ちょっと落ち着いようなので、
「どうかしたの?」と聞いたら。
「事件に巻き込まれてね」
・・・と言ったまま爆睡し始めた。
事件に巻き込まれた...?
・・それも事件の詳細情報については皆無の『擦り傷男』と
隣のベッドで一晩過ごすの事に
抵抗を感じない人はいないであろう..。
つづく
院内ミーティングが、ほぼ毎日ある。
それは患者だけでする勉強会や、
ディスカッション。
断酒会やAAという酒害者(お酒に悩む人達)による、
酒害者のための自助組織。
このミーティングに参加する事を、「またか」
と煩わしがる人もいれば
「今度こそ絶対に滑らない!少しでも為になる話を聞いて自分の糧にする!」と
張り切っている人もいる。
多い日には院内。院外合わせて一日3回位ある場合もある。
それぞれが今までの酒害・及び周囲の人に迷惑を
かけた事を自覚するとともに、今後の断酒を誓う。
(この体験談を他で口外する事は禁止)
・・断酒会のなかで有名な言葉。
これから生きていく上で、気の遠くなるような断酒と戦う為に
残された言葉だ。
「今日飲まなくてもいいじゃないか、飲むか飲まないかは
明日考えよう」といった、考え方で振り返れば
その日々の累積が一生断酒をさせている。
という理想の格言だ。
・・・が、人は、朝起きた時、夜寝る時、そして翌朝。
メンタルコンディションは
大きく変わっていて普通だ。
いわんやアル症患者は刹那的で、
「その時気持ちが良ければ良い、
後は酔いが覚めてから考えよう」
と考える人が多いと思う。僕がそうだ。
だから、
自助会への参加・定期診察・抗酒剤を欠かさない事が
『断酒三原則』・・と言われている。
病棟内の患者さんの中にはミーティングを
面倒臭がる人もいたが、僕は嫌いではなかった..。
・・ナニシロ閉鎖された場所で
何もやることが無い事ほど退屈な事は無い。
喫煙室に気の合う患者さんだけがいる訳でもないし、
必ず話が盛り上がる訳でもない。
それなら大量飲酒をした人が、結果どうゆう体験をしたのか
聞く方に興味があった。
・・断酒会も、AAも、1人で喋らせられる枠がある。
それを極端に嫌がり主席したがらない人も結構いたが、
僕はそれに抵抗は感じなかった。
前職でプレゼンとかもやらされ慣れていたし、
僕の失敗談が誰かの役に立つなら価値的だと思っていた。
出席してみると正直・院内断酒会も、AAも
『これからも希望に溢れて!!』
というポジティブ感よりも、面倒臭いなぁとか、かったるい、
早く終わんねぇかな・みたいな惰性的な空気だった。
・・しかし、その日に来てくれた、ある地域の断酒会会長さん?の話は、
今でも強烈なインパクトとして残っている。
その人の年齢は推定70歳前位か..。
その人がまず話し始めた
「皆さん、酒とは本当に恐ろしいものです!
特に、アル症になって連続飲酒が始まったら
昼も夜も時間の感覚も判らなくなり、
何杯飲んだかの自覚もなく、酩酊状態となり、
なんの気力もなくなります。
酒のウマイ不味いという感覚もなくなり、
気になるのはただ一つ。
酒が切れて離脱症状にならないよう、
酒の残量だけは、ボヤけた頭でも
チェックしています。私は10年前、
1人暮らしで約半年間、呑んでは眠り、
起きては呑むという繰り返しをしていました。
家族がたまたま訪問した時には、
髪も髭も伸び放題。
久々に訪問した家族が扉を開けると、
この世の物とは思えないほどの
悪臭で吐き気がしたそうです。
体は死にかけの山羊のようだったと言っていました。
・・トイレやバスタブは嘔吐物や汚物で満杯。
・・仕方がないので、
もう身の回りに吐き出すしかありませんでした。
畳は腐り、原型をとどめていなかったそうです。
もう人間の姿ではないですよね。」
・・・・・強烈すぎる(-_-; そこまでなるのか..(汗)
しかし、僕にとっては大変為になる話だった。
この状態をアル症の『底つき』・・と言う。
今後も良く出て来るワードだ。
その後、それぞれの患者が「一日断酒で頑張ります」とか
「今日で断酒〇〇日です」「パスします」等と一巡して例会は終わった。
・・・僕は今後、退院後、幾度か底付きするのだが、
その経験も後に詳しく書きとめようと思っている。、
・・持論になるかもしれないが。
断酒に一番効果的なのは『底つき』をし、
生き地獄を何度味わうかだと思っている。
酒の快楽よりも底つき地獄がバランスシートで上回った時、
断酒の腹が決まると思っている。
そうじゃないと言う人もいるだろうが、アル症は脳の病気。
「気合いと根性・固い意志では絶対に治せない」と
アル症分野で日本で最高権威の理事が言っている。
-----------------------------------------------------
ミーティングが、終わり病室に戻った。
僕が新患部屋から、移動する先は、
まだ決まりかねていた。
「・・どうやら今日も、同じ部屋かもな
空きベッドもあるし」
なんて思っていたところ、ドタドタドタと
慌ただしくストレッチャー(車輪つき担架)で
隣のベッドへ新患が入って来た。
10月末で肌寒かったのだが、
着のみ、着のままと言った感じで、
上は半そでTシャツ・下は膝下位の半ズボン。
背丈は160cm位で歳は30歳半ばくらいに見えた。
体形はコロっとしていて、30㎝位のチョンマゲを結っている。
ちらりと見ると、肌の露出部分が擦り傷だらけだ。
深い傷はなさそうなのだが..。
彼は早速点滴を打たれた。
・・ちょっと落ち着いようなので、
「どうかしたの?」と聞いたら。
「事件に巻き込まれてね」
・・・と言ったまま爆睡し始めた。
事件に巻き込まれた...?
・・それも事件の詳細情報については皆無の『擦り傷男』と
隣のベッドで一晩過ごすの事に
抵抗を感じない人はいないであろう..。
つづく