竹中半兵衛重治 菩提山城址登山   令和5年1月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

竹中半兵衛の菩提山(402m)城址を訪れました。

まず登山道手前の竹中家陣屋跡。陣屋跡は今では垂井町岩手小学校で陣屋門は小学校の
校門の一部にもなっています。

父の竹中重元は大野郡大御堂で生まれ、斎藤道三、その子義龍に仕え、永禄元年(1558)、
半兵衛と共に岩手信久を攻めて追い出し、この地一帯を領有しました。
半兵衛は天文十三年(1544)生まれ。
その後、永禄七年(1564)、主君、斎藤龍興の悪政を戒めるためとして、主従18人で
稲葉山城を占拠するも1年足らずして龍興に城を返し、浅井長政の食客となる。
永禄十年、岩手に帰り、信長に仕える。常に秀吉の傍らにあり、姉川合戦、小谷城の
お市の方救出、長篠合戦など数々の功績を残した。






 
竹中半兵衛像。



陣屋跡から菩提山城址を遠くに望むことができます。



竹中家の菩提寺、曹洞宗の禅幢寺。



竹中家の墓所。



左が半兵衛、右が父重元の墓。間が半兵衛の室、得月院。
半兵衛は播州の三木の陣中で病没、36歳(天正七年、1579)。
天正十五年、長男重門が三木から移葬した。
現在の本堂は寛文三年(1663)に孫の重常が建立。

10年程前に訪れた際には落ち葉や枯れ枝が散らばっていて、少し掃除してからお参りしたほど
でしたが、昨今の歴史、お城ブームきれいに整備されていました。






禅幢寺のすぐ北が菩提山城跡への登山道。頂上402mまでおよそ2km。
ちょうど下山するお二人にお会いすると1時間半ほどの登山と伺いました。






登山道はきれいに整備されていました。とは言うものの運動不足の身にとってシビアでは
ありました。




城址直ぐ下には目印のような大岩。



頂上の城址。












本曲輪








空堀を挟んで第二曲輪。











東方は少し霞みがかった岐阜市街地、金華山、岐阜城。



南方に濃尾平野や青空に浮かぶ雲の美しさを満喫。 疲れも吹っ飛ぶような美しさ。
他に訪れる人もなく独り占めです。





望遠レンズで名古屋駅の高層ビル群。手前の左右一直線は東海道新幹線。



帰りの下りはおよそ1時間。

山城へ登る毎に記しますので恐縮ですが、城主、家族、家来等皆が毎日のように山道を
登る訳です。その時代、体も今に比し小さく、質素な食事にも拘らず、すごい体力であったと
思わずにはいられません。自分のだらしなさをいつも思い知らされます。

信長は長年の毎日の金華山や安土城への登城で鍛えられ、何の病もなく健康そのもので
あったと伝えられています。


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