高杉の足跡 ~下関編1~ | 高杉晋作の生涯をたどる旅

高杉晋作の生涯をたどる旅

幕末の風雲児と言われた高杉晋作。
彼の足跡を訪ねてみました。

山口県下関市、かつては馬関、赤間関と呼ばれていたこの町は

源平合戦や巌流島の戦いなど、幾度となく歴史の舞台となったところです。

 

高杉晋作は1863(文久3)年6月、この町に登場します。

 

下関駅西口方面

 

白石正一郎宅跡  高杉晋作奇兵隊結成の地碑

 

晋作がまず訪れたのは清末藩(長府藩の支藩)御用商人の白石正一郎宅でした。

白石は勤王商人として知られ、西郷隆盛など多くの志士と交わりがあったそうです。

 

晋作に奇兵隊結成の相談を持ちかけられた白石は支援を約束し、

ここに歴史上類を見ない「奇兵隊」が結成されたのでした。

白石は自ら入隊し、その一員となりました。

 

晋作もくぐったであろう白石家浜門(下関市長府)

 

なお、白石は晩年商売を退き、赤間神宮の宮司となりました。

下関市吉田の東行庵にはその墓もあります。

 

赤間神宮 白石正一郎の墓(東行庵)

 

白石邸跡をさらに国道沿いに進みます。

 

高杉東行終焉の地

晋作は四境戦争の翌年の1867(慶応3)年4月14日、

ここ、林算九郎宅の離れで27歳8ヶ月の生涯を閉じました。

林邸はすでにありません。

碑の横には晋作が好きだった梅の木が植えられています。

 

国道をさらに先へ進みます。

 

厳島神社

 

この大太鼓は、四境戦争の小倉口の戦いの際、長州軍が戦勝の証として持ちかえり、

晋作がこの神社に奉納したものと言われています。

現在、毎年9月の第一土曜日に「太鼓祭」が行われているそうです。

 

厳島神社から小道を入っていきます。

 

高杉晋作療養の地

 

1866(慶応2)年10月、小倉口の戦いの戦列を離れた晋作は

はじめ白石正一郎宅で療養していましたが、

桜山招魂社を望むこの地に家を建て、

東行庵と名付けて療養生活を送りました。

おうのと、野村望東尼の看護を受けたそうです。

その後、1967(慶応3)年3月に林算九郎宅(終焉の地)へ移ることになります。

 

桜山神社

本殿の中には晋作の像が安置されています。

桜山招魂社完成の時、晋作が詠んだ歌碑もあります。

 ~弔らわる人に入るべき身なりしに 弔う人となるぞはずかし

参道の下には都から落ちてきた七卿の史跡もあります。

 

桜山神社をさらに北へ進みます。

 

了円寺

1864(元治元)年12月、晋作は長府・功山寺で挙兵した後、新地の会所を襲撃。

その後、ここ了円寺に一時滞在したそうです。

なお、この立派な山門は長府藩の勝山御殿から移築されたものと言われています。

 

下関駅から了円寺まで、徒歩で十分まわれます。

地図を片手に、晋作ゆかりの地を訪ねてみて下さい。