お疲れ様です!ネコヤナギ。。管理人、kan-sukeです。
12月10日。
舞台『紅蓮、ふたたび』でBARシャトーの常連客の一人、梅椿梅子を演じた大音文子さんの誕生日です!おめでとうございます!
18日から始まる『シカク』では、中心となる4人とは別の役で各公演に出演されるそうなので、管理人が観に行く20日も楽しみです!
歴史的には、施薬院全宗が亡くなった日。慶長四年(1599年)十二月十日のことです。・・・と言っても、施薬院全宗(やくいん・ぜんそう)と聞いてピンと来る方は少ないかもしれませんねw
もともと、比叡山延暦寺の僧だった全宗ですが、信長による比叡山焼き討ちをきっかけに還俗、京で名医として知られていた曲直瀬道三に師事、医学の奥義を体得します。そして、当時毛利攻めをしていた秀吉の主治医となりました。
本能寺の変のあと、秀吉は光秀との交渉を全宗に命じます。秀吉の配下である武士が行くのは危険ですが、医師である全宗であれば光秀サイドも険悪な感じにはならないだろうということで大役を担うことになったのでしょうね。
また、山崎の合戦以降は安国寺恵瓊や千利休らとともに周辺の諸将を秀吉サイドに勧誘する役割も担い、秀吉の天下統一にも貢献しています。伊達政宗や佐竹義重と交渉役を務めるなどしています。そして、長く途絶えていた施薬院のシステムを再興したのです。具体的には、貧富の差に関係なく誰もが平等に治療を受けることができる医療福祉のシステムです。ほぼ日の出から日没まで開院し、選抜された名医が担当の患者をマンツーマンで治療。ときには、全宗自ら往診に行くこともあったとか。
全宗は、秀吉が亡くなった翌年にその後を追うように亡くなりますが、はっきりした年齢は諸説あるもののここでは74歳説をあげておきます。