泣いて馬謖を斬る | kan-sukeのアメブロ

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観劇した舞台のことなど書いていました。
2015年9月より、新たにブログを作成し
そちらをメインブログとしております。
http://ksr-jg.jugem.jp/

お疲れ様でした。

サウナみたいな職場から解放されたと思ったら、

帰り道もサウナみたいな蒸し蒸し状態でげんなりした

ネコヤナギ。。管理人です。


さて。

『泣いて馬謖を斬る』

三国志ネタで。

蜀(蜀漢)は先帝・劉備の遺志を果たすべく魏との戦い、

北伐を行う。その第一次北伐で、蜀の武将・馬謖が、

街亭の戦いにて諸葛亮の指示に背いて山地に陣取り、

魏軍に糧道を断たれて敗戦を招いた。この責任をとる形で

馬謖は処刑されることになるが、

愛弟子でありいずれは自身の後継者と目をかけていた

馬謖の処刑に踏み切るにあたり諸葛亮(孔明)は

涙を流したという。後に、孔明の後を継ぎ丞相となる蒋琬から

「馬謖ほどの有能な将を」と彼を惜しむ意見もあったが、

孔明は「軍律の遵守が最優先」と再び涙を流しながら

答えたという。


ちなみに、三国志でも正史と演義では意味合いが異なっており、

正史では『孔明は馬謖のために涙を流した』とある。

一方、演義では、何故泣くのかを蒋琬に訊かれて孔明は

「馬謖のために泣いたのではない」と答えている。

かつて、劉備から「馬謖を重く用いてはならない」という言葉を

遺されていたにも拘らず、それを守らなかった自分を嘆き、

泣いたとされている。馬謖はどちらかというと書生論タイプで

実践での危うさを劉備は諭していたのだろうけれども、

それでもその馬謖を実践で重用しなければならないほど

蜀の人材不足は深刻だったのだろう。なお、

馬謖は獄中で病死したという説もあるくらいで

実際にこの故事があったかどうかは断定できません。

あくまで史実に基づくフィクションということで(特に演義)。


それを踏まえて、管理人の職場にいる

ゲス野きわみさん(仮名)。

6月に自分の出勤日を忘れて結果的に無断欠勤した人です。

今日は寝坊で30分遅刻してきました。

遅れてきたときも、急ぎもせず走りもせず、

何事もなかったかのようにしれっと職場に。

挙げ句の果てに、とんでもないミスをやらかしてくれました。

実際に自分が片付けたものと全然違うデータを

とばして、そのことに終業時間まで一切気付かず。

おかげで、こちとらそのデータを信じて

「まだこれが片付いてない」と探しまくりましたよ。

そんないい加減な仕事するくらいなら、いないほうがマシ。

泣いて馬謖を斬る、どころか泣きもしないで斬りたい。

「お前、来週からもう来なくていい!」

・・・と課長が言ってくれることを願おう。

それが無理なら管理人が早く出世して課長になろう←