あまり難しく、深く考えずに呼吸して、深く呼吸して、肩の力を抜いて、口を半開きにして、でも呼吸は鼻からを意識、口を閉じようとする意思すら放棄して、呼吸に集中する、手は勝手に動く、指は勝手に慣れた手つきでキーボードの上をあっちこっち叩く。この程度だ、おれの表現力。いやでもそれなりにというか、もうちょっと頭を捻れば別の表現が出るさ。なんだろうか、踊るとかはちょっと寒い。このキーボードを叩く感じ。田圃を踏み鳴らす巨人の足音みたいな。そんなのはなかなかありじゃないか。嫌いじゃない。そういう表現。それって才能っていうか作家性っていうか独自性だよな、ほんまに。ほんまに面白いと思う。がっつり自己を表現して生きていこう。そうすればまだまだ先にいけると思う。誰と出会うとか誰と繋がるとかどうでもよい。どうでもよくなってきた。村上春樹先生や宮崎駿ちゃんにも会いたいし、会った上で語り合いたいけど、でももっと先へっていうか、先とは言わない、じゃなくて、誰に会いたいとかはおまけであって、どうせ憧れた人たちと会わなきゃいけないし、越えなきゃいかんのだから、憧れるのはやめましょう。おれは別に大谷に憧れてないし、彼と会っても多分なんら圧されることはないだろうが、というのも野球の能力はともかく、人間として体のフォルムが彼は面白いからだ。そこに興味があるので憧れとかではなく相対することになるだろう。そこに憧れはない。対談とかしてもいいけど、喋ることはとくにない。野球に興味ないし。井上尚弥とは話したいことがたくさんあるが。写真を撮るくらいでいい。対談は成立しない。ご飯会とか程度なら別に可。

東野と今田は未だにダウンタウンの子分感が抜けない。子分でないと彼らが意識すればするほど残念だし、まさかそんな風には思ってないだろうが、でもダウンタウンに比べればけっこう質が落ちる。というか松本人志が凄すぎたという話。凄すぎるという話。この松本人志理論は語れば長くなるし、またうまくまとめ切れそうにもないのでここでは語らない。てかわざわざ語られなければ松本人志の凄さが分からんようなやつとは確実に会話が弾まないので、出会うのも億劫である。

怒りというかビビッてもうて呼吸が止まってた。松本人志論について威勢の良いことを言ったが、その反応が、しかもそれは一般ピープルの、が怖くて、ビビッてもうて呼吸が止まってた。情けない。そこら辺のさ、そうなんだよな、それも含めてなのよ、ワイドナショー以降さ、国民というか若者の松本人志化が起きたんよな。知識じゃなくて発想でニュース斬りますみたいな。この角度どうっすか的な。ほんでツイッターという毒が蔓延したせいで、ツイッターは毒じゃないけどさ、彼らが手にするとまるで毒そのものとなり……。けっこうしんどいぜって風になっちゃいまして……。

mixiでおれの青春は、アイデンティティは救われたって話。大学二年でれいじにあれを教わって、それで日記というものの面白さに触れて、それがウケにウケて、自信を得た。マジに自信を得た。馬鹿とは一線を画してた。そうだよな、あの時点でおれは時代の寵児めいた雰囲気というか、時代に合致した能力を得てたよな。まー楽しかったわ、mixi日記は。今ならもちろんもっとって感じだが。暗に刺激してみたりとかせずに、知識をひけらかしたりとかもせずに、海外を放浪したりとか、音楽に触れたりとか、いろんな芸術家にも詳しいし、植物にも投資にも詳しいしっていう。でもここからってわけでもなく、今さらブログを書いたりはしない。あの時はあれで明らかに(誰にでも書けると思ったけど)、自信を得て、人に対して向き合うことができるようになった、胸を張って。そんで絢との恋。

あれは絶対に恋だっただろ。あの踊り場でズルッと滑ったのはあったが、あの時、あぶねーおれがこの子を好きだったら最悪だったわとか思ったけど、つまりあの時おれは絢には恋をしてなかったわけだが、あの卒業設計のイベント終わりでは、けっこういい感じになってたと思う。スノボも行きたかったなあ。いろいろ仕方ない。過去は過去。恵美子とも行きたかったな、スノーボード。結局行ってないのか。今さら行かんけど、ピアノもあるし、もう時間が勿体なすぎる、あの遊びは。フラッと行くくらいならまだしも。行き帰りがヘビーすぎるわ。あんなん下心があるから初めて成立していたわ、酷使させ過ぎだわ、若者の身体を、アホか。それにがっつり乗せられとったわけだけれども、冬がナントカって。広告にあったよな。冬が好きだ、とかだっけ。あのボードウェア着た女の子が熱視線を送ってくるやつ。あれに普通にまいってたもんな。たぶん。いやそれはあんまないけど、でも妄想はしまくったもんな。妄想とスノボの相性の良さたるや、まったくもって。

それはそうとしてここでも再び集中が途切れていた。途切れるけど、途切れさせない。このまま続ける。二十五分てのは大概長い時間だ。舐めてはいかん。これはけっこうある。まずフツーにけっこうある。そんなわけで続きまして、大発表会にまいります。こんな風に銘打って最近じゃとんと音沙汰ナシ。宇宙の真理とか、新しい発見とか。でもキモい=ハイって気づきは最高だった。おれが思ってたキモさはハイだってことだ。そこがね、すげー良い気付き。おれはね、ハイなんですわおれはね、めっちゃハイ。乱暴にキモい、ハイ野郎なのよ、おれは。それを受け入れてっていうか、それに疲れられると困るっていうか、それは単純に合わないって話。恵美子なんてまったくエネルギーのない子だったもんな、そりゃ合わない。それに合わせるためにどれだけ蛇口を絞ったか、って別に恨んでない。好きではあったから。今度会ってもたぶん三〇分くらいが限界だろう。たぶんおれのペース、熱、エネルギーに合わせられない。それは仕方がない。違う、ギャップがあるというだけ。どちらが良い悪いではないが、おれはエネルギーの抑え方は知ってるが、多くの一般ピープル、という一般ピープルのほぼ全ては、エネルギーの解き放ち方を知らないそういう点から言って、おれはこのエネルギーを解き放てる側の人間の方が優れていると思うだってそうした方が結果的に人生の濃度が濃くなるのだから。なんだろ、なんだろ、そうだね、濃くなるって感じ。じゃあ濃い人生と薄い人生とどっちが良いのって話になって、別に濃かろうが薄かろうが幸せだったら良くね? って話なんだけど、濃いのはね、幸せよ。薄いのはね、淡白よ。その時の幸せっておれちょっとよく分からんわ。薄い人が幸せなんてことあんのおれが感じてるレベルでまさか(笑)

こすむとへりとか