タイプタイプタイプ。独特のタイプ。日本語的タイプ。誤字。誤字はこの場合、日本語ならではのものとなるよな。それを英語では作ることは絶対にできないもんな。同じ文章には決してならない。それはそうと、読み返してキモさはなかった。もっと文を上手く流麗にしたいところではあるし、文の流れ、方向性みたいなものももっと特定というか、文が向かおうとしてる方向にしっかり準拠する必要があるように思われるが、とにかくというやはりというか、三〇枚に収まるのだろうけど、ここからさらに改善して、するりと読めるような代物に。ガチャガチャだけは取り除きつつ。でも遠い自分の作品、古い自分の作品だとガチャガチャは感じないのかな。いやでもな、それは試してみるか。散文的すぎると言えばそれまでだが、それだけでは終わらないものもあるような気がする。おれは人に影響を与えるレベルに一気にならなければならない。よく分からん言葉を一ページに何語も何語も入れ込むようなローライターとは話が違うわけで、こちとら売れる本を書きたいわけでして、初めてここに来て売れる小説を書きたいという気になってきた。小説になるのだろうか、それは。いやはやそれは別の、全く別のものになるのかなあ。時代時代の流れを受けて、今がどういう時代かっていう話。そこで君たちはどう生きるか的な、それこそツコル君とかじゃなかったっけ? コペル君だわ。コペルくん。マロクはやっぱツコルにしとく? でもそれは爺さんたちの名前をぐっとしたやつだから、ここはやはりマロクにしておこうよ。ツコルはコペル感もあるしさ。

なんくるない、だらだら。今日は小甲の人々が鹿児島にいるらしい。線状降水帯を突破して無事に着いたようだ。特になんも聞きたいことはないが、気を遣いそうで、なんだろう。そんな感じ。気楽ではない。眠くなりそう。人と会うって疲れる。まあ別に気を遣わんでもいいんだろうけど、そう、怠けられないって感じに思ってしまう。横になれないって思ってしまう。ほんで横になれないってけっこうしんどい。いつでも横になれるってことが一番いいいつでも横になりたいときに横になれる、これが最高の人生である。今それを手に入れちゃいるが、それをどうだろう。もっと金を稼ぎながらっていうね、ほら、こう、だらだらしてきたでしょ。何にもないからだよ。本当に書き出すべきことがなくなっている。これは、ここから何かあるのかな。ああいいううええおお。こんなどうでもいいことを書いていて、次に何か生まれる保証はなく、疲れてるというかこれは寝すぎか、逆に? いや体力がないのだ、そう体力がないって話だ。ほんで体力は重要だって話だ。この九年間、体力はあった、ような気がする。継続は心の強さ、体力的な強さがマジで重要だったが、ここにそこに変化が。連日のセッションで体が弱っている。それは言えるかもしれない。やめればまた一気に回復するだろう。V字回復もいいところだろう。なるほど、あそこのバッドに入った時に、あれだ、体力がぐっと減ったんだ。ちょっとさ、次のやつはさ、ナシで書いてみない? ナシでやるとどんな風になるのかってこれも実験。実験的に。どんな風になるのかって。ランニングとかヨガもきっちりできるでしょうね、その場合は。

世界的に見てさ、どういう時代なんだろうね、時代とかどうでもいいんかね。いやどうでもいいんだわ、それに添ったりする必要もなく、時代なんて考えて作るものではない、結果的にできるもので、しかも集合的なものだ。今現在変な髪色の人が増えてるが、あれは間違いなく松本人志の金髪が始まりだった。彼はさ、ほんまにカリスマだよな。今金髪にしてる芸人はもれなく恥ずかしい。嶋佐なんて論外だと思う。面白いこと言ったの聞いたことがない。おれの方がたぶんていうか間違いなく気の利いたコメント言えるわ。これほど大胆にこき下ろすことも滅多にないが、彼からは才能を感じない。しかし屋敷は面白い。クズで下品だが、面白い。ただ彼があまりテレビに出るとテレビの品性が下がる。森田とか。なんかなんだかんだ感じてたテレビの品が下がってテレビの勢いの低迷を如実に感じる。ああこんな風になってしまったんだ、テレビはっていう。テレビはこんな人が出る場になってしまったんだっていう。なんか、まあいいけど。

そのようなわけで、これは糞ではない。ああ糞か。糞がね、最近硬い。コロコロだ。葉菜を食べてないから説を提唱している。これはたぶん当たらずとも遠からずである。なんか糞と糞の繋がりは葉菜にありということは言えるかもしれない。あとね、硬い。硬いはもう言った。で尻の穴が狭い。狭いらしいと聞いてはいたが、つまりおれはケツの穴の小さな男なのである。締まりが良いと言えば聞こえはいいが、いや別に良くもないが、なんだろう、ここはケツの穴の大きな男になりたいところである。二重の意味で。他人に寛大であり、かつ切痔も根治するっていう。この二つを人生の目標、いや近々の目標とする。

人生の目標ね、目標ねえ。いやだいたい定まってきた。コンプリートする。何をって話なんだけど、誰もやってないことをやりたい。誰も手を出していないこと。でも植物のいろんな不思議なことも含めて知るっていうのはやりたい。やってみたい。世界各国、どこ行っても飽きないし。植物ってほんまに不思議な力を持ってるし、仮に宇宙人とか別の知的生命体がいたとして、植物、この地球古来の植物を愛する、それに詳しいというのは間違いなく重要である。かたや、なのよ。かたや、金をどうにか増やしたい。ああ、それにはやっぱり本書きはいいんじゃない? めっちゃいいと思うんですけどね。ただ小説かどうか。自己啓発という手もあるのか、ここにきて? 自己啓発はしかしアートにはならないが、アート、ううん、芸術についてはおれはセンスなんだっけ、なんとかって言葉あったな、センスがある人みたいな表現。持ってるみたいな。センス、センスハリ……いやエがついた気がする。センスエリーティズムだ。エリーティズムだ、間違いない。センスエリーティズム。なんやその言葉! ほんまにあるんか? おれはね、センスエリートではない、間違いなく違う。しかしキモさを受容した今、独特の美観を持っている、ということを言うことはできる

さてそのようなわけで地球全体に普及しているおれの価値観であるが、まるでそれが当たり前みたいになっている。それはおれがその世界に変えたからだ。それはそうだ、やはり。おれはそうなのだ、やはり世界の中心にいる、それは間違いない。面白い時代だ、世界だ、ほんで待て、けっこういろんなことがいろんな方面でぐるぐる回っている。例えばAI、テクノロジー関連の物事はまったくおれの、いや知識としてはあったが、それがおれの頭の端っこでぶんぶん発展してる。こういうのも面白いのか。ところがどうだろう、芸術や創作について、けっこう劣勢。んでも何をやろう。どうやって金を稼ごうか。今さ、元手はある。これを元に本気で金を稼ぐとなると……?

こすむとへりとか