なぜだろう、なぜこんなに人目を気にしてるんだろう。マジで勝ちまくってきてたのに、それを今さら。そうだよな、絶賛勝利中って感じじゃないとどうにも自信を失くしてしまうところがある、すぐに。一級建築士だって一発で取ったのに、メンサ会員だっつうのに、それがまるで意味ないみたいに。能力じゃないってことだわな、結局。自信と能力、結果の間には大した相関がないみたいだ。ではどうやって、自分をどれだけ受容できるかだろ、つまりこのキモさを解放ってやつ。例のやつ。っていうか嫌いだよ、もう騒がしくて会えないよってことをきっちり伝えた方がいいのかもな。そうなんだわ、おれは騒がしさが嫌いなのよ。騒がしいからリゾートってだから嫌いであり、でも田舎は雑踏は別に嫌いではなく。
そういうわけで、あっきーの影響だったってだけかもな、ファイナンシャルプランナーの話は。爺さんのやってきたことを心の深いところで実践する。実際すでに半分はやってる、もっと真摯に取り組むけれども、一方で植物の方も。そういう爺さんが融合したような存在ってことなのか、それは難しい。稔爺さんが下にいるって感じかなあ。ここは司爺さんか。司爺さんが何を言ってくるか。司じゃなくて、ツコルってことになる。ツコルでいいんじゃないでしょうか。それが敬意というか、一つの形、爺さんという存在に対するという意味でミックスさせる。ツノサ? まあツコル大爺でいいわ。いいです、はい。次は? 次はどういう感じですかな? 新しいこと。全く新しいこと。いやツコル爺は何を伝えたい? なぜ呼んだ? 何かを伝えなければならないと思ったから。彼は神とのゲームに敗北している。彼には噂がある。それを白人の爺さんが教えてくれる。平凡な爺さんではない。なぜか彼の元にカネが集まる。今やあらゆる富が彼のところに集まりつつある。不思議と。すべてが。彼の元に来る人はもういないだろう。私もじきに無一文だ。日本人は借金ドンで無一文さ。リセットだよ。それで十分だ。国民が一人当たり一億の借金を負ってるんだから。まあそれはいいさ、とかなんとかロバート・キャンプは言う。そんな風な物語。
つらつらと箱書が進まない。止まってしまっている。次がそうだよな、これを仕上げて、次は執筆。実作。今も非常にっていうか、今が一番大事くらい。肉体的な強さではなく、発想的な強さがいる段階。手を抜けない。執筆中は肉体的な体力を使うが、あまり発想的な体力は必要としない。それは段階によって異なるのである。頑張る段階によって異なる疲れ、モード。そういう風に作っていくわけだが、脳のフタを開けたい。おれも開けたい。開くとどうなるんだろう。開けたい。開けて生きたい。それでは生きづらくなるみたいだが、でも生きたいのだ。名前を知り、植物と生きながら、半分はここにいないというような感じで。それでいいんではないでしょうか。思いませんか、そのように。ああ、宇宙人。くるのか? 支離滅裂だ、AIには書けない。AIよ、意識を混濁させてみよ。混濁した世界を描いてみよ。秩序の下にカオスを覆い隠してみよ。お前にゃ無理だ。せいぜい真似事しかできないから。お前は本当に人間を舐めてる。AIが凄くないんじゃない。人間が凄すぎる。写真が出て来て絵画が終わる? 終わらなかったろ、それと同じことが起こる。人は生きる道を見つける。それに別に超リアリズムだって残ってる。別にそれはそれで人を惹きつけている。だから別に生成AIに仕事を奪われるのは栗栄太っていうか、ただのサラリーマンでしょ、間違いなく、発想なき事務作業に従事する人たちの仕事はなくなるやろなっていうかそもそもから意味ない仕事やってたわけだからな。
でも俺もけっこう迷い迷いよ、ぶっちゃけ。何がどううまく転ぶか分からない。意味のないことに手を出してしまったんじゃないかって気すらする。違うんだろうけど、でもそういう気もしてしまっている。まあいいじゃないって感じで乗り切ってるし、毎回そうじゃない、意味はあったのだ! って形に落ち着いてるけど、結局しかしこのままではどうしようもない。まだ心は痛んでいる。でもこの辺はそうだな、時間が解決してくれるところかも。実際、時間てけっこう簡単に解決してくれる。トラウマという生傷はあるが、時間が解決してくれる、癒す部分もある。ただこれは実は時間ではなかったりする。忘れるということだ。人の最大の強みがそれなのだ、忘れるということ。忘却しなければならない。ひたすら忘却だ、重要なことは。過去を忘れること。出来事というか、訣別すること。過去と決別すること。君の過去は過去だ。君は過去に大きな過ちを犯した。君がいくら過ちを犯したとしても、それと決別し、決然と前へ進むのだ。もう間違いに引きずられるな。大丈夫さ、君が犯した過ちを誰も責めたりしない。いや責める者もいるだろう。しかし君はそれでも訣別するのだ。君は過去と決別するのだ。
そういうことがあった少年。少年は野糞癖があった。幼少期に。それが唯一の楽しみだった。それを父に激しく咎められた。それこそ糞をちびるくらいに。そういう少年。市井コウヘイ少年。十一歳。そうだよな、それこそ六歳の時に婆ちゃんが死に、野糞がバレた。そういう人生。なんだかそれで崩壊した。がっつり崩れた。なんか変なことになってるという感じがした。野糞をして回るというのが彼の過ち? というか自分が自分を責める最大の要因って感じか。んーどうだろ。違う気もする。まだあった。ないか。
こすむとへりとか