なるほどって感じ。生成AIによって画像を作ったり音楽を作ったりはなるほど、いかに上手くプロンプトを生成できるか、また自分がどういう曲を好きか、イメージしてる曲をいかに言語化できるか、具体的にイメージできるかが重要だ。これはなるほど突き詰めればやりがいがあるかもしれない。こっちに行く? これで食っていけるようになったりするんか? だけどもだっけーどって感じだけどな、どうなんやろか。はたして。やってみてって感じか? いや。遊び心。混乱する。可能性が広がりすぎている。今なににベットすればいいかとてもじゃないが分からん。どれを選ぶにしてもそれなりのコスト、つまり時間労力のコストはかかる。見返りがないわけではないが、それは楽しさという見返りのような。自分で曲を作る方がいくらか楽だったぜ。こんな風に作れるんだったらやり様がいくらでもある。とはいえどこまで作り込めるかはその道のプロでなければけっこう難しい。目がいる。耳がいる。それを洗練させるだけの能力がいる。それは一朝一夕では培うことができない。あっきーの生成した画像がダサかったように、それはまったく惹かれない。そういうことではない。これもやっぱり遊び心なのかもしれない。この音楽にどういうアレンジをすると面白いか、もっと良くなるか、みたいな。そういうのを追求? やれることが多すぎる。のか? 逆に少ないのか? やったところでみたいなことか? ネコネコネコのやつとか遊び心あったよな。別に良くはなかったけど。これからじゃんじゃん消費されていく時代。おれはどうしていこうか。本当に悩ましい。この悩みのまままた今日も寝るのだろうか。何か頭がこんがらがっている。こんぐらかるとかいう表現もあるが、フツーにこんがらがっている。ええい、という気にもなれない。頭の中がごちゃごちゃだ。今もうわけわからんアカウントいっぱい作ってしまったし。生成AIのために。謎。何がどうなってんねん。このネットの社会。誰かおれに教えてくれ。いやおれの学ぶ意志だけさ必要なのは。そこから逃げて、人間らしさとか。うんぬんかんぬん。福ちゃんじゃないんだから、現状維持で革新性がないなんて。遊び心。遊び心。とか言って結局はこのままどうなることやら。ちょっと瞑想して、いやこれが瞑想。ここに言葉をつらねていって、なんか着地できるか? あっちへいったりこっちへいったりもうワケが分かりまへん。分かりまへんねん。何もでけへんねん。どうしよ。今から新しく何かを始めるのか? マジで一から? その勇気はちょっと……。どうしようかって感じ。ここから何かを一から始める? この時代に合わせて? 確かに時代のうねりには乗っかれるような気がするが、んでもそっちにだけベットしてもなんか間違えそうな。それで金になるのか、それで成功なんてものを得られるのかって感じになってしまう。またさらに間違いを重ねるだけのような。おれはどんどん追い詰められている、わけではない。この即興というか、無意識の表出。ここをちゃんと無意識の表出の場として、それを一回音楽にしてもらおうか。いやこれを音楽にできるのか? できるわけないじゃん、こういうことじゃない。こういうのを欲してるわけじゃない。これを概念的に音楽にしてほしいとは思うが、これを。この即興が何か形になることはあるんだろうか。これを絵画にしてくれ、みたいな。んー。この即興はマジで好き。これをもっと深いレベルでやってそれが認められたなら。それはホンマに楽。この文が、ウケにウケて、世間に認知されて、これがもう世界中の人に向けて書かれてるみたいな感じになったらそれはもう大いに、嬉しいです。ところがどっこいそうはいくまい。そんなに甘くない。そういう風にできているんだもん。ハア。疲れる。もっと楽に認めてくれねえかなみんな。でもおれが凄い人間じゃないから認められてないわけだよな。おれは凄いくないのか? どうなんだろ、おれは注目に値する人間じゃないんかな? どうだい? 特別に何かを知ってるわけでも、持っているわけでもない。待て、その特別な部分を表出しなければならない。表出すれば良い。その特別なところ。いかれたところ。頭のぶっ飛んでるところを表出すること。表現すること。この頭の吹き飛び具合を言語化すればよいのである。が、果してどのように言語化したものか。作品化したものか。そうだよな、それを表現、創作にしなければそれはただの変人。キチガイだと言ったのは誰だったか葛飾北斎とかその辺の人だったような気もするし、マークトウェインとかそっちの作家だったような気もする。でもその頭の中のぶっ飛びようを作品にしなければならんのだが、その変数が発想力、アイデアである。これにおれは疲れている。もっとこう、もっとこう、なんだろうか。革新的な表出方法はないだろうか。教えてくれ。ユーチューブ? いや直接じゃない。もっと間接的に比喩的に表出させる必要がある。それがだから物語ではないかとか思ったり、芸術という分野なのではないかと思ったり、思わなかったり。とてもじゃないがサラリーマンやコミュニティマンは無理だ。無理ではないが、ストレスフルだ。何かどうにか、おもしろおかしくできないものか。ああ、この人は変わってるという感じ。おれの生き甲斐をどうにかこうにか見出せないものだろうか。働くとはなんだろうか。労働とは。生き甲斐ってなんだろうか。生きている意味。結局ここに帰ってくる。労働としての生きている意味。何をするために生まれている? 答えを出すには早いのか? そうでもないのか? こんな風に突っ込んでいくしかもう。やはり物語を書くことだ! という答えはあまりに尚早。時期尚早。そうではなくて実はもっと自由に、無限の可能性があると仮定すると一体全体なんだろう。おれがやりたいこと。生き甲斐。生まれてきた理由。もっと自由におれは生きられるのだろうかそれともこんなもんなんだろうか。あらやだ不思議。こんな風になってきた。奥へ入ってきた。突っ込んできた。何が何やらじゃんがじゃんが。どこまでいってもじゃんがじゃんが。留まることを知らないじゃんがじゃんが。おれはこれだ、というものを見つけたい。出会いたい。それはなんだ。金もいらん。家族はある。地位はほしい、というか地位よりむしろ能力によって友だちを得たい。刺激になる友だちを得たい。そのために遊び心を爆発させるそんな感じだろう。生きるためのとかではなく、自己紹介のための創造。はいワタクシこんな人間ですみたいな。

こすむとへりとか