ほんとどういうわけか分からんが、おれはとにかくコミュニティというのが嫌いである。なにかに属するというのが本当に苦手である。教会も一匹狼的な感じで入っている分には良かったが、なんかネズミ講の一部にさせられたときにゲエッと思った。さらにゴーハラさん(だったと思うけど)の「完全に一部になったね」の一言。あれにはゾッとした。嘘だろと。嘘だろっていうか、そう見えてるんかハアみたいな。一部ちゃうし。そういう一部感とか、あとなんだろ、特別感のないコミュニティに属するのはちょっと。というかコミュニティに属している時点で特別感が消える。それが嫌なのである。その辺の性質については太陽星座しし座、月星座おひつじ座によく現れている。けっこう性格当たってた。なんかなんて言えば分からんが。この「なんか」とかも無くして生きたい。もっとシームレスに文章をつないでいきたい。懐中電灯が欲しいらしい。欲しいらしいが今はちょっと、この「ちょっと」もだ。言葉に追いつけてないというか、タイピングに言葉が付いてきてない感じ? 違うか。言葉があるが、タイピングするときにけっこう頭を使ってる。頭脳が思考が分断されてるという感じがあるのかもしれない。とはいえこれは訓練でどうとでもなるだろう。少しずつ改善されていくに違いないのだ。そうであろう? そう思いまする。どういうこっちゃ、なんなんなん。このリズムだけの箇所は別にあっても、なくても。少しずつ文章の改善を図りながら取り組んだ方がいいのか、この即興? とはいえ、んー、なんかなー、「とはいえ」とかもワンパターン……。思考のワンパターンぶりがちょっと。思考とはワンパターンなのだろうか。もっと柔軟で支離滅裂は支離滅裂にしても、支離滅裂の方式にパターンがある気がしてそれはけっこうガッカリ。同じやん、同じパターンやんって。この思考の流れを体系化することもできるかもしれない。厳密にどういうパターンがあるのか、考えてみようか。

まず始めは「とはいえ」系。これ体系化がうまくいく気がしない。ああどういうことかだろう。「嘆き」系。リズムで時間稼ぐ系もある。ちょっととかなんかとかみたいな意味ない言葉による時間稼ぎ系もある。時間稼ぎ系。基本的にこの時間稼ぎ系が嫌なようだ、おれは。良かった。なんだかんだ分かってきた。そうか、時間稼ぎ系にガッカリしている。もっと流れるようにシームレスに融通無得に思考を飛ばそうぜ。どこまでも自由に! 思考を! 飛ばして! 行こうぜ! そうだろ! 時間を稼いだが、頭は上手く回っていなかったようだ、なん♪

しかしどういうわけだろう、あの紅斑が消えない。よくなってる気がしたが、快方に向けた道がせき止められている気がする。一旦停止。ああ、そうか。ダイエットのときの停滞期と一緒だ。ここで挫けてはならない。ここからもう一段階。体重がグッと減ったときにまた一気にいくだろう。この即興も同じ。知ってた、そうじゃん、知っていた。成長は曲線的ではなく階段的。むしろどっちかっていうと。だから今は停滞期に感じられるが、階段の平坦なところを前進してる状態。また今にどっかのタイミングでズギャンとぶち上がるのだ。ただこの平坦なところで諦めずにいられるか、これが肝である。ここが才能と呼ばれる部分の肝である。いきなりの成長を喜ぶ機会はまたこれからも来る。それがいつ来るかはわからない。ただ来る。それだけ。出口くんが水泳中に直角に曲がったみたいなミラクルも起こり得るが、そのときはそれでもいつか階段の端にぶち当たって顔を上げることができる。し、まああんなことは起こらない。あんなざわめきは起こらない。あれは世間を大いにざわつかせる。あれはむしろ才能だ。あれはゴールだ。あんな曲芸ができるならそれはもう才能だ。絶対的な。出口くんは恐い人だったからあまりにも笑えなかったが(彼の意図的行為、発言では)あの直角に曲がる芸は彼の意図とは全く無関係であるし、また彼をちょっと辱めるということもあってめちゃくちゃ面白かった。世間を震撼させた。世間とは小さな二年に組というコミュニティではあるが。しかしさ、おれはコミュニティがこんなにも苦手なのに、ああいう画一的学校教育をよくもまあ突破したな。むしろしかも大学受験やら学園ヒエラルキーやら超絶苦手分野でよくもまあ好成績を残したな。あんなに苦手なのに。てか日本人みんな苦手なんじゃないか説。もっと学校を自由に。学校教育を自由ってか個別にしたら恐ろしいほど才能が膨らむんじゃないだろうか。まあ一方で排他的だからな、そんなウルトラルートをいくと公に排斥してくる阿保が後を絶たないだろう。しばらくは。まあでも能力でひとまずねじ伏せとけば、後は勝手についてくる。従順っていうか馬鹿だから。そういう国民である。

鬼越が令和ロマンやラランドのユーチューブを上品すぎて品がないと言っていたのが妙に腹が立つ。令和ロマンもラランドも見たことないし好きでもないし、むしろ鬼越の方が好きだが(笑いとしては)、上品うんぬんは承服しかねる。なにせ鬼越は下品さが面白いだけだから。片や令和やラランドはなるほど、うん、ああこっちね感はある。それだけである。勝手知ったる土壌ではあるが、それと笑いはあまり相入れないのである。結局、高学歴であればあるほど遊び心が弱くなるからだ。高学歴というかなんだろうな、なんかアッチには遊び心がないんだよ、ほんまに。いやそんなことないのか?

こすむとへりとか